公開日 2017/09/22 12:00
「オーディオ哲学宗教談義」
【対談】オーディオは本当に進歩したのか<第1回> 哲学者・黒崎政男氏と宗教学者・島田裕巳氏が語る
季刊analog編集部
東京・銀座にあるオーディオショップSOUND CREATEが運営する試聴室「SOUND CREATE LOUNGE」にて、この夏3回にわたり、「オーディオ哲学宗教談義」というイベントが開催された。オーディオ、音楽に親しんでいることで共通している哲学者・黒崎政男氏と宗教学者の島田裕巳氏の公開対談で、掲げたテーマは「オーディオは本当に進歩したのか」。今回は7月22日(土)に行われた第一回のレポートをお届けしよう。
オーディオ事始め 〜最初のレコード〜
黒崎 今日の会場であるSOUND CREATE LOUNGEができた時、このオリジナルのJBLハーツフィールド(1950年代初期のもの)を聴いて、やはりヴィンテージものは素晴らしいなと思いました。はたまたLINN(リン)の最新システムも置いてあって、オーディオが盛んになり始めた50年以上前のものと現代のものが同時に、最高の状態で聴けるというのは非常に面白い空間であると思いました。
島田先生とは以前から歌舞伎でよくお目にかかっていたんです。それが、6年前のインターナショナルオーディオショウのリン・ブースで島田さんにバッタリ会って驚きました。互いに「なぜここに!?」と。そのうち、ここLOUNGEでも会うようになって、この素晴らしい空間を多くの人と共有したくなりました。それで、島田さん専門の宗教学と、私の専門(哲学)を絡めながら、オーディオを聴いてみるのは面白そう……ということで今日に至ります。
島田 はい。今日はよろしくお願いいたします。
黒崎 今回は、互いにオーディオに目覚めるきっかけになったレコードをかけてみようと思います。40〜50年前から夢中になって音楽を聴いてきたわけですが、音楽を聴くとはいったい何か。録音とはそもそもな何か、とそんなお話ができればと思います。僕はオーディオ歴50年。そうするとLPレコードの歴史とほぼ同じと入ってもいいくらいです。
島田 黒崎さんは1954年生まれですね。僕は53年になるので一歳違いの同世代になります。
黒崎 中学1年の時には、うちのステレオを分解していました。オーディオを意識するようになったきっかけが、オスカー・ピーターソン『We Get Request』の第1曲目「コルコヴァード」。ちなみに私自身のオーディオシステムは、LPは最終的には、放送局用の45cmのターンテーブルにロングアームをつけて、オルトフォンのSPU-Aシェルをつけて聴いていました。スピーカーは今日聴くJBLハーツフィールドの構成と似ていて、アルテックA5の高域をJBLのドライバー375にしてTADのウッドホーンをつけていました。では、「コルコヴァード」を聴いてみましょう。冒頭の「シャランッ」という音を意識しつつ聴いていただければ。
〜Oscar Peterson 『We Get Request』より「コルコヴァード」試聴〜
JBL(ハーツフィールドで)
黒崎 私はたくさん持っていたレコードを一度全部手放して、最近になってまた同じだけ手に入れました。ワルシャワという都市はいったん絨毯爆撃されて完全に廃墟になったのですが、全部昔通りに建て直したのです。私のレコードライブラリもワルシャワと同じですね。でも、なんでもないレコードばかりで、300円とかで買ったりしています。
で、『We get request』の話に戻りますが、冒頭の「シャランッ」はシンバルの音のように聴こえますが、実はピアノの弦の音なのです。それを知ったきっかけが、パーソナリティをやっていたNHKのラジオ番組です。自分の好きな音楽を紹介するコーナーでこの曲をかけました。“シャランッ”は、シンバルと説明して紹介したところ、曲をかけた直後にリスナーから「あれはシンバルではなく、ピアノの弦だ」と。「えーっ」となりました。この曲を聴き始めてからおよそ50年経て真実に出会ったというわけです。
それともうひとつ。オスカー・ピーターソンが1964年に録音したこの時限りの出来事を至るところで時間を超えて聴いてきているという、オーディオの不思議さを感じていました。
島田 実は、私のかけるものにも「シャランッ」が出てくるので、ちょっと驚いています。その話の前に、この作品ってベースのレイ・ブラウンがソロのところで歌ってるのです。それを知ったのは、東京インターナショナルオーディオショウで。確か、山之内正さんがソナス・ファベールのスピーカーを紹介する際のことで、現代の良いスピーカーでは、このレイ・ブラウンが歌ってるのが分かるのだという話をしてこの曲をかけた。
確かに、装置によっては聴こえないんですよね。教えられて初めて聴こえるということもありますけれども(笑)。
黒崎 全然知りませんでした。今日、また発見してしまった(笑)。とにかく、私は中学一年で聴いたこのオスカー・ピーターソンがオーディオを始めるきっかけになりました。
島田 黒崎さんとは勤務先の東京女子大学でよく会いますが、サウンドクリエイトでもよく会います。今年の正月にここに来ましたが、黒崎さんもこの後で来ますよと言われて。そのあとも会ってますよね?
黒崎 私は“お経”好きで、先日も平安時代の写経をヤフオクで落札したんです。それを額装したのを持ってLOUNGEに行ったら島田さんがいらして。島田さんは宗教学者ですから、それが何のお経かを言い当てられましたね(笑)。ばったり会っては面白いことが起きる。
島田 僕の話をさせていただきますと、音楽は当時流行っていたグループ・サウンズとか、アメリカのポップス、それに関西フォークなどを聴いていました。岡林信康さんとかですね。きっかけはラジオで「帰ってきたヨッパライ」を聴いたのが始まりで、しばらくそういうものを聴いていました。
ジャズを聴くきっかけになったのは、1969年の3月。その当時『ヒットポップス』という雑誌が出ていました。その中に植草甚一さんが寄せられた「コーヒーと古本とジャズ」という文章があって引き込まれました。その中でチャールズ・ミンガスの『直立猿人』に触れられているのです。なんだ、このレコードは? と思いまして。これを聴いてみたいと思ったけれど、家にはラジオしかなくて、片っ端からジャズの番組を探して聴いていました。でも、直立猿人はかからないのです、いつになっても(笑)。
ところで、この1969年というのは、1月に東大安田講堂に攻防戦があったときですが、ジャズにも大きな革新があった年でした。
黒崎 「電気」ですね!
島田 マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が録音されたのが69年の2月18日。『ビッチェス・ブリュー』がその年の8月19日〜21日の間なので、ちょうどエレクトロニクス・マイルスが誕生した時代でした。ラジオを聴いていると、こうしたアルバムを紹介する評論家たちがやたら興奮しているのです。
黒崎 マイルス、こんなになっちゃったって。
島田 その「すごいことが起こっている」という雰囲気に影響され、「これから面白いことが始まるんだ」という予感とともに、どんどんジャズに嵌まるようになりました。僕は69年に東京都立西高校という久我山にある高校に入ったのですが、その頃、近くの吉祥寺には「ファンキー」や「メグ」といったジャズ喫茶がありました。どちらにもよく通っていました。「ファンキー」にJBLパラゴンが入ったときには大変な騒ぎになりました。
メグではその頃、成蹊大学の学生だった桐野夏生さんがアルバイトをしていました。かすかに僕は、きれいな人がいたなあという記憶があります。高校生がそういうところへ通っていたわけです。マイルスの『ビッチェス・ブリュー』やコルトレーンも聴くようにもなりました。また、僕のジャズ人生にかかせない雑誌『スイング・ジャーナル』という雑誌がありまして……。
黒崎 あれは影響が大きかったですよね。ジャズ好きは必ず『スイング・ジャーナル』を買っていた。
島田 その雑誌のジャズ・ディスク大賞という企画の中で、日本ジャズ賞という部門があって、1969年にその賞を受賞したのが佐藤允彦の『パラジウム』。今、手元にあるのが当時買ったものです。
黒崎 やっと来ましたね(笑)。ワルシャワ的状況ではなく。
島田 初めて買ったレコードで、オーディオに目覚めるきっかけと言える一枚です。そして、その冒頭も「シャランッ」なんですよ。
黒崎 えっ、ほんと?
島田 オープニングが、ピアノのなかに手を突っ込んで弦をかきならすプリペアド・ピアノで、そこからビートルズの「ミッシェル」となります。
〜佐藤允彦『パラジウム』より 「Opening〜ミッシェル」を試聴〜
(ハーツフィールドで)
黒崎 この頃の音楽は、今のような何やってもコピー……みたいな行き詰った空気感ではなくて、「まだやったことないものを作るぞ」「作れているぞ」という、新しい時代を作るにあたって未来に伸びしろがあるような感じでしたね。このアルバムではビートルズの「ミッシェル」も演奏されていますが、そんなリアルタイムの音楽も取り入れつつ新しいものを生み出そうとしている、今でも十分通じる作品だと思います。
島田 ピアノが佐藤允彦で、ベースが荒川康男、ドラムスが富樫雅彦だった。冨樫さんはこの頃はバスドラを叩くことができた。その後半身付随になってしまって、手だけで叩くようになった。僕は、ライブで冨樫さんがバスドラ叩く姿をみたことはなかったけれど、佐藤さんと増上寺ホールなどで演奏しているのを聴きに通いました。現代音楽とフリージャズの間くらいの演奏でしたね。このアルバムは、佐藤さんたちが20代で作り上げたアルバムです。
オーディオ事始め 〜最初のレコード〜
黒崎 今日の会場であるSOUND CREATE LOUNGEができた時、このオリジナルのJBLハーツフィールド(1950年代初期のもの)を聴いて、やはりヴィンテージものは素晴らしいなと思いました。はたまたLINN(リン)の最新システムも置いてあって、オーディオが盛んになり始めた50年以上前のものと現代のものが同時に、最高の状態で聴けるというのは非常に面白い空間であると思いました。
島田先生とは以前から歌舞伎でよくお目にかかっていたんです。それが、6年前のインターナショナルオーディオショウのリン・ブースで島田さんにバッタリ会って驚きました。互いに「なぜここに!?」と。そのうち、ここLOUNGEでも会うようになって、この素晴らしい空間を多くの人と共有したくなりました。それで、島田さん専門の宗教学と、私の専門(哲学)を絡めながら、オーディオを聴いてみるのは面白そう……ということで今日に至ります。
島田 はい。今日はよろしくお願いいたします。
黒崎 今回は、互いにオーディオに目覚めるきっかけになったレコードをかけてみようと思います。40〜50年前から夢中になって音楽を聴いてきたわけですが、音楽を聴くとはいったい何か。録音とはそもそもな何か、とそんなお話ができればと思います。僕はオーディオ歴50年。そうするとLPレコードの歴史とほぼ同じと入ってもいいくらいです。
島田 黒崎さんは1954年生まれですね。僕は53年になるので一歳違いの同世代になります。
黒崎 中学1年の時には、うちのステレオを分解していました。オーディオを意識するようになったきっかけが、オスカー・ピーターソン『We Get Request』の第1曲目「コルコヴァード」。ちなみに私自身のオーディオシステムは、LPは最終的には、放送局用の45cmのターンテーブルにロングアームをつけて、オルトフォンのSPU-Aシェルをつけて聴いていました。スピーカーは今日聴くJBLハーツフィールドの構成と似ていて、アルテックA5の高域をJBLのドライバー375にしてTADのウッドホーンをつけていました。では、「コルコヴァード」を聴いてみましょう。冒頭の「シャランッ」という音を意識しつつ聴いていただければ。
〜Oscar Peterson 『We Get Request』より「コルコヴァード」試聴〜
JBL(ハーツフィールドで)
黒崎 私はたくさん持っていたレコードを一度全部手放して、最近になってまた同じだけ手に入れました。ワルシャワという都市はいったん絨毯爆撃されて完全に廃墟になったのですが、全部昔通りに建て直したのです。私のレコードライブラリもワルシャワと同じですね。でも、なんでもないレコードばかりで、300円とかで買ったりしています。
で、『We get request』の話に戻りますが、冒頭の「シャランッ」はシンバルの音のように聴こえますが、実はピアノの弦の音なのです。それを知ったきっかけが、パーソナリティをやっていたNHKのラジオ番組です。自分の好きな音楽を紹介するコーナーでこの曲をかけました。“シャランッ”は、シンバルと説明して紹介したところ、曲をかけた直後にリスナーから「あれはシンバルではなく、ピアノの弦だ」と。「えーっ」となりました。この曲を聴き始めてからおよそ50年経て真実に出会ったというわけです。
それともうひとつ。オスカー・ピーターソンが1964年に録音したこの時限りの出来事を至るところで時間を超えて聴いてきているという、オーディオの不思議さを感じていました。
島田 実は、私のかけるものにも「シャランッ」が出てくるので、ちょっと驚いています。その話の前に、この作品ってベースのレイ・ブラウンがソロのところで歌ってるのです。それを知ったのは、東京インターナショナルオーディオショウで。確か、山之内正さんがソナス・ファベールのスピーカーを紹介する際のことで、現代の良いスピーカーでは、このレイ・ブラウンが歌ってるのが分かるのだという話をしてこの曲をかけた。
確かに、装置によっては聴こえないんですよね。教えられて初めて聴こえるということもありますけれども(笑)。
黒崎 全然知りませんでした。今日、また発見してしまった(笑)。とにかく、私は中学一年で聴いたこのオスカー・ピーターソンがオーディオを始めるきっかけになりました。
島田 黒崎さんとは勤務先の東京女子大学でよく会いますが、サウンドクリエイトでもよく会います。今年の正月にここに来ましたが、黒崎さんもこの後で来ますよと言われて。そのあとも会ってますよね?
黒崎 私は“お経”好きで、先日も平安時代の写経をヤフオクで落札したんです。それを額装したのを持ってLOUNGEに行ったら島田さんがいらして。島田さんは宗教学者ですから、それが何のお経かを言い当てられましたね(笑)。ばったり会っては面白いことが起きる。
島田 僕の話をさせていただきますと、音楽は当時流行っていたグループ・サウンズとか、アメリカのポップス、それに関西フォークなどを聴いていました。岡林信康さんとかですね。きっかけはラジオで「帰ってきたヨッパライ」を聴いたのが始まりで、しばらくそういうものを聴いていました。
ジャズを聴くきっかけになったのは、1969年の3月。その当時『ヒットポップス』という雑誌が出ていました。その中に植草甚一さんが寄せられた「コーヒーと古本とジャズ」という文章があって引き込まれました。その中でチャールズ・ミンガスの『直立猿人』に触れられているのです。なんだ、このレコードは? と思いまして。これを聴いてみたいと思ったけれど、家にはラジオしかなくて、片っ端からジャズの番組を探して聴いていました。でも、直立猿人はかからないのです、いつになっても(笑)。
ところで、この1969年というのは、1月に東大安田講堂に攻防戦があったときですが、ジャズにも大きな革新があった年でした。
黒崎 「電気」ですね!
島田 マイルスの『イン・ア・サイレント・ウェイ』が録音されたのが69年の2月18日。『ビッチェス・ブリュー』がその年の8月19日〜21日の間なので、ちょうどエレクトロニクス・マイルスが誕生した時代でした。ラジオを聴いていると、こうしたアルバムを紹介する評論家たちがやたら興奮しているのです。
黒崎 マイルス、こんなになっちゃったって。
島田 その「すごいことが起こっている」という雰囲気に影響され、「これから面白いことが始まるんだ」という予感とともに、どんどんジャズに嵌まるようになりました。僕は69年に東京都立西高校という久我山にある高校に入ったのですが、その頃、近くの吉祥寺には「ファンキー」や「メグ」といったジャズ喫茶がありました。どちらにもよく通っていました。「ファンキー」にJBLパラゴンが入ったときには大変な騒ぎになりました。
メグではその頃、成蹊大学の学生だった桐野夏生さんがアルバイトをしていました。かすかに僕は、きれいな人がいたなあという記憶があります。高校生がそういうところへ通っていたわけです。マイルスの『ビッチェス・ブリュー』やコルトレーンも聴くようにもなりました。また、僕のジャズ人生にかかせない雑誌『スイング・ジャーナル』という雑誌がありまして……。
黒崎 あれは影響が大きかったですよね。ジャズ好きは必ず『スイング・ジャーナル』を買っていた。
島田 その雑誌のジャズ・ディスク大賞という企画の中で、日本ジャズ賞という部門があって、1969年にその賞を受賞したのが佐藤允彦の『パラジウム』。今、手元にあるのが当時買ったものです。
黒崎 やっと来ましたね(笑)。ワルシャワ的状況ではなく。
島田 初めて買ったレコードで、オーディオに目覚めるきっかけと言える一枚です。そして、その冒頭も「シャランッ」なんですよ。
黒崎 えっ、ほんと?
島田 オープニングが、ピアノのなかに手を突っ込んで弦をかきならすプリペアド・ピアノで、そこからビートルズの「ミッシェル」となります。
〜佐藤允彦『パラジウム』より 「Opening〜ミッシェル」を試聴〜
(ハーツフィールドで)
黒崎 この頃の音楽は、今のような何やってもコピー……みたいな行き詰った空気感ではなくて、「まだやったことないものを作るぞ」「作れているぞ」という、新しい時代を作るにあたって未来に伸びしろがあるような感じでしたね。このアルバムではビートルズの「ミッシェル」も演奏されていますが、そんなリアルタイムの音楽も取り入れつつ新しいものを生み出そうとしている、今でも十分通じる作品だと思います。
島田 ピアノが佐藤允彦で、ベースが荒川康男、ドラムスが富樫雅彦だった。冨樫さんはこの頃はバスドラを叩くことができた。その後半身付随になってしまって、手だけで叩くようになった。僕は、ライブで冨樫さんがバスドラ叩く姿をみたことはなかったけれど、佐藤さんと増上寺ホールなどで演奏しているのを聴きに通いました。現代音楽とフリージャズの間くらいの演奏でしたね。このアルバムは、佐藤さんたちが20代で作り上げたアルバムです。