公開日 2018/01/26 18:54
SOUND CREATE LOUNGEの話題のイベント「オーディオ哲学宗教談義」
【対談】オーディオは本当に進歩したのか<第3回> 哲学者・黒崎政男氏と宗教学者・島田裕巳氏が語る
季刊analog編集部
2017年夏より、東京・銀座のオーディオショップ「SOUND CREATE」の試聴室「SOUND CREATE LOUNGE」にて行われた公開対談「オーディオ哲学宗教談義」。哲学者・黒崎政男氏、宗教学者・島田裕巳氏が、稀少なヴィンテージスピーカーや現代最先端のオーディオシステムを使って音楽を披露しながら、『オーディオは本当に進歩したのか』をテーマに話し合った。昨年秋から本サイトでアップしてきた第1回、第2回のレポートに続き、第3回のレポートをここにお届けしたい。
デジタルは解脱だ!
SOUND CREATEスタッフ 哲学者の黒崎政男先生と、宗教学者の島田裕巳先生による「オーディオ哲学宗教談義」も3回目になりました。1回目は現代とヴィンテージでテクノロジー新旧の考察を、2回目は、蓄音器とJBLのParagonを聴き、SPからLP、モノラルからステレオへの変遷をテーマにしました。
今回はグッと現代によって「デジタル」がメインテーマとなります。本日のシステムはリンのKLIMAX EKAKT350 Katalyst、それからVITAVOX CN-191をご用意しました。KLIMAX EKAKT350 Katalystは本体にアンプとDACが搭載されデジタル・クロスオーバーを用いたスピーカーで、ヘッドユニットからアンプの直前までをデジタル伝送します。VITAOXは1946年頃から作られていた2ウェイスピーカー。この個体は希少なラジアルホーンを使った1960年くらいのものになります。では先生方、よろしくお願いいたします。
黒崎 3回目の今日は、デジタル時代がテーマです。音楽メディアはSPレコードから始まって、SPもLPもCDも円盤だと考えると、円盤がメインの時代は1900年から2000年くらいの約100年間になります。それから物体のないデータファイルの時代となりました。つまり情報の脱物質化ですね。
それは音楽だけでなく写真もそうですし、書籍もグーテンベルク以来500年続いてきた印刷本がデジタルファイルに変わりつつあります。SPをかければシェラックという素材の音がするし、書籍ならページを指で捲るとか紙の手触りとか、これまでは物質性と情報が常に組み合されていたわけですけれども、それが0/1の集合になると、そうしたテープの素材の持つ特性や紙の持つ特性などとは無関係になる。デジタル伝送ができるし、コピーも無限にできる。このように音楽がデジタル化されることで一体どのようなことが起こるのか。音楽を聴くというあり方にどのような影響があるのか。今回はこんなことを考えてみようと思います。
私は家ではLINN KLIMAX DSMを使っていてソースはデジタルも使いますが、アンプやスピーカーは思い切りヴィンテージ派ですけれども、島田さんはリンのEXAKTシステムをかなり早い時期から導入されています。普段どのように聴いていらっしゃいますか。
島田 リンとの出会いの前に、デジタルとの出会いがあったんですよね。オーディオを本格的にやるようになったのは20年くらい前で、最初はソナスファベールの「Minima」というスピーカーを買って、それをフィリップスのCDプレーヤーで鳴らしていました。
それからしばらくオーディオから離れていたんですが、2007〜2008年頃にまたやってみようかなと思いまして。何にしようかなと思った時に、Sound Design社の「SD05」というデジタルアンプが発売されました。これは元SONYの技術者の石田正臣さんによるもので、限定生産されていました。御茶ノ水で試聴会があって、そのときに使われていたのはSD05とソニーの「HD-1」という機器でした。HD-1はハードディスクを内蔵して、CDをリッピングしてそれを再生するという、当時としてはかなり先進的なものでした。
このシステムを使おうと思って、まずはSD05を購入して、次はHD-1かなと思った矢先に、リンの「MAJIK DS」の存在を知ったんですね。そのMAJIK DSからSD05にデジタル接続できることができることが分かったんです。じゃあMAJIKにしようということになって、使い始めたのは2009年2月9日でした。その日にデジタルアンプとデジタルプレーヤーを使い始めたことになります。
音をデジタル化していくメリットは、ジッターとか歪みとかいうものを、いかに失くしていくかということだと思います。EXAKTの場合はスピーカーにDACとパワーアンプが搭載してあって、それとDSをLANケーブル(EXAKT LINK)でつないでいる。そういうふうにして音の歪みがいかに少なくなるかということを考える。デジタルというのはおしなべてそういう世界です。私は宗教学を専門にやっているのでそれに引きつけた言い方をすると、それはオーディオが“解脱(げだつ)”しているということだと思います。
一同(笑)
黒崎 解脱(げだつ)ですか(笑)
島田 つまり、歪みみたいなものは煩悩。デジタルの世界はこの煩悩をいかに失くしていくか、というものなんじゃないかと。もちろん昔からそういうところをオーディオのメーカーもリスナーも目指していました。ただやっぱりそういう環境が整っていなかったがゆえに、いろんな機器を組み合わせてなんとか歪みを少なくしようと努力してきたわけです。
黒崎 私もDSの世界に出会ったときに感じたのは、カザルスであれ誰であれ、デジタル化して鳴らすと時代性が落ちるということでした。ピュアな、すごくいい音になったと同時に、夾雑物が全部落ちる音になってしまう。浄化されるといいますか……。解脱(げだつ)といえば解脱(笑)。
島田 その点では、前回聴かせてもらったカザルスをデジタルで聴いても、そんなに面白くない気がする。
黒崎 あれは蓄音器でかけるのが一番いい感じがしますね。
島田 デジタルの悟りというのに関係して、キース・ジャレットの『クリエイション』をかけましょうか。2014〜2015年くらいに世界各国いろんなところでやったソロ演奏を集めたものです。これはそのハイレゾです。特徴的なのは、拍手を全部切ってあるところです。
黒崎 「ケルン・コンサート」(1975)には拍手がありましたっけ?
島田 あリます。トリオのライブ盤ではむしろ延々と拍手が鳴り続ける。これからかけるのは僕が実際にライブで聴いた演奏で、会場は紀尾井ホールです。800人規模のそれほど大きくない会場ですね。キースのコンサートは人が集まるから大体大きいところでやるので、この規模のところでは二度と聴けないなと思って行きました。そのときのパート5をかけましょう。
〜キース・ジャレット『クリエイション』より「パート5紀尾井ホール」を試聴〜
(48kHz/24bit) 〜KLIMAX DS/3+KLIMAX EXAKT 350
黒崎 いまの音、解脱(げだつ)っぽいね(笑)。70年代のものと比べると印象が違いました。その頃のものはもっと、キラキラキラッとしていて。叫び声とか多くて。この時の紀尾井ホールの会場の空気、凄く神経質だったんですよね?
島田 彼のソロコンサートは、聴く方も非常に緊張している。咳もしちゃいけない。クラシックもそうですけどそれ以上の緊張感がある。紀尾井の時は特別でした。というのも、1週間前にあった大阪のソロコンサートで、観客ともめたらしく、途中で演奏もやめてしまったんです。
黒崎 観客が騒いだんですか?
島田 そう。それがあったから、ますます観客が緊張してしまって。さらにおっかないことに2部の真ん中の4曲目をやろうとした時に、キースが座って構えて、そこでやめちゃった。
たぶん何を弾いていいか思いつかなかっただけだったんだろうけど、緊張しましたよ(笑)。
黒崎 キース・ジャレットは、観客ともめごとがあって嫌がっているようにも思えるのに、それでもライブにこだわる人なんですね。
島田 紀尾井ホールの時には、その後、アンコールには応えて、何曲か演奏しましたから、別に機嫌が悪かったわけではなかったようで。それはともかく、この演奏はデジタル特有の静謐な世界がかなり生かされたものなのではないでしょうか。
デジタルは解脱だ!
SOUND CREATEスタッフ 哲学者の黒崎政男先生と、宗教学者の島田裕巳先生による「オーディオ哲学宗教談義」も3回目になりました。1回目は現代とヴィンテージでテクノロジー新旧の考察を、2回目は、蓄音器とJBLのParagonを聴き、SPからLP、モノラルからステレオへの変遷をテーマにしました。
今回はグッと現代によって「デジタル」がメインテーマとなります。本日のシステムはリンのKLIMAX EKAKT350 Katalyst、それからVITAVOX CN-191をご用意しました。KLIMAX EKAKT350 Katalystは本体にアンプとDACが搭載されデジタル・クロスオーバーを用いたスピーカーで、ヘッドユニットからアンプの直前までをデジタル伝送します。VITAOXは1946年頃から作られていた2ウェイスピーカー。この個体は希少なラジアルホーンを使った1960年くらいのものになります。では先生方、よろしくお願いいたします。
黒崎 3回目の今日は、デジタル時代がテーマです。音楽メディアはSPレコードから始まって、SPもLPもCDも円盤だと考えると、円盤がメインの時代は1900年から2000年くらいの約100年間になります。それから物体のないデータファイルの時代となりました。つまり情報の脱物質化ですね。
それは音楽だけでなく写真もそうですし、書籍もグーテンベルク以来500年続いてきた印刷本がデジタルファイルに変わりつつあります。SPをかければシェラックという素材の音がするし、書籍ならページを指で捲るとか紙の手触りとか、これまでは物質性と情報が常に組み合されていたわけですけれども、それが0/1の集合になると、そうしたテープの素材の持つ特性や紙の持つ特性などとは無関係になる。デジタル伝送ができるし、コピーも無限にできる。このように音楽がデジタル化されることで一体どのようなことが起こるのか。音楽を聴くというあり方にどのような影響があるのか。今回はこんなことを考えてみようと思います。
私は家ではLINN KLIMAX DSMを使っていてソースはデジタルも使いますが、アンプやスピーカーは思い切りヴィンテージ派ですけれども、島田さんはリンのEXAKTシステムをかなり早い時期から導入されています。普段どのように聴いていらっしゃいますか。
島田 リンとの出会いの前に、デジタルとの出会いがあったんですよね。オーディオを本格的にやるようになったのは20年くらい前で、最初はソナスファベールの「Minima」というスピーカーを買って、それをフィリップスのCDプレーヤーで鳴らしていました。
それからしばらくオーディオから離れていたんですが、2007〜2008年頃にまたやってみようかなと思いまして。何にしようかなと思った時に、Sound Design社の「SD05」というデジタルアンプが発売されました。これは元SONYの技術者の石田正臣さんによるもので、限定生産されていました。御茶ノ水で試聴会があって、そのときに使われていたのはSD05とソニーの「HD-1」という機器でした。HD-1はハードディスクを内蔵して、CDをリッピングしてそれを再生するという、当時としてはかなり先進的なものでした。
このシステムを使おうと思って、まずはSD05を購入して、次はHD-1かなと思った矢先に、リンの「MAJIK DS」の存在を知ったんですね。そのMAJIK DSからSD05にデジタル接続できることができることが分かったんです。じゃあMAJIKにしようということになって、使い始めたのは2009年2月9日でした。その日にデジタルアンプとデジタルプレーヤーを使い始めたことになります。
音をデジタル化していくメリットは、ジッターとか歪みとかいうものを、いかに失くしていくかということだと思います。EXAKTの場合はスピーカーにDACとパワーアンプが搭載してあって、それとDSをLANケーブル(EXAKT LINK)でつないでいる。そういうふうにして音の歪みがいかに少なくなるかということを考える。デジタルというのはおしなべてそういう世界です。私は宗教学を専門にやっているのでそれに引きつけた言い方をすると、それはオーディオが“解脱(げだつ)”しているということだと思います。
一同(笑)
黒崎 解脱(げだつ)ですか(笑)
島田 つまり、歪みみたいなものは煩悩。デジタルの世界はこの煩悩をいかに失くしていくか、というものなんじゃないかと。もちろん昔からそういうところをオーディオのメーカーもリスナーも目指していました。ただやっぱりそういう環境が整っていなかったがゆえに、いろんな機器を組み合わせてなんとか歪みを少なくしようと努力してきたわけです。
黒崎 私もDSの世界に出会ったときに感じたのは、カザルスであれ誰であれ、デジタル化して鳴らすと時代性が落ちるということでした。ピュアな、すごくいい音になったと同時に、夾雑物が全部落ちる音になってしまう。浄化されるといいますか……。解脱(げだつ)といえば解脱(笑)。
島田 その点では、前回聴かせてもらったカザルスをデジタルで聴いても、そんなに面白くない気がする。
黒崎 あれは蓄音器でかけるのが一番いい感じがしますね。
島田 デジタルの悟りというのに関係して、キース・ジャレットの『クリエイション』をかけましょうか。2014〜2015年くらいに世界各国いろんなところでやったソロ演奏を集めたものです。これはそのハイレゾです。特徴的なのは、拍手を全部切ってあるところです。
黒崎 「ケルン・コンサート」(1975)には拍手がありましたっけ?
島田 あリます。トリオのライブ盤ではむしろ延々と拍手が鳴り続ける。これからかけるのは僕が実際にライブで聴いた演奏で、会場は紀尾井ホールです。800人規模のそれほど大きくない会場ですね。キースのコンサートは人が集まるから大体大きいところでやるので、この規模のところでは二度と聴けないなと思って行きました。そのときのパート5をかけましょう。
〜キース・ジャレット『クリエイション』より「パート5紀尾井ホール」を試聴〜
(48kHz/24bit) 〜KLIMAX DS/3+KLIMAX EXAKT 350
黒崎 いまの音、解脱(げだつ)っぽいね(笑)。70年代のものと比べると印象が違いました。その頃のものはもっと、キラキラキラッとしていて。叫び声とか多くて。この時の紀尾井ホールの会場の空気、凄く神経質だったんですよね?
島田 彼のソロコンサートは、聴く方も非常に緊張している。咳もしちゃいけない。クラシックもそうですけどそれ以上の緊張感がある。紀尾井の時は特別でした。というのも、1週間前にあった大阪のソロコンサートで、観客ともめたらしく、途中で演奏もやめてしまったんです。
黒崎 観客が騒いだんですか?
島田 そう。それがあったから、ますます観客が緊張してしまって。さらにおっかないことに2部の真ん中の4曲目をやろうとした時に、キースが座って構えて、そこでやめちゃった。
たぶん何を弾いていいか思いつかなかっただけだったんだろうけど、緊張しましたよ(笑)。
黒崎 キース・ジャレットは、観客ともめごとがあって嫌がっているようにも思えるのに、それでもライブにこだわる人なんですね。
島田 紀尾井ホールの時には、その後、アンコールには応えて、何曲か演奏しましたから、別に機嫌が悪かったわけではなかったようで。それはともかく、この演奏はデジタル特有の静謐な世界がかなり生かされたものなのではないでしょうか。