新製品「Babyface PRO」の開発背景も説明
RMEのポリシーは「データに対して正確な音」。開発者が設計思想を語り尽くす
プロオーディオブランドとしては異例ともいえるほど、オーディオファイルから支持を獲得しているドイツのRME。この度、同社の最新モデルであるBabyface Pro(関連ニュース)が発売となった。
このBabyface Pro発売に伴い、先日同社の創業者であり、Firefaceシリーズの開発者でもあるマティアス・カーステンズ氏とプロダクトマネージャーのマックス・ホルトマン氏が来日。いままで、コンシューマーオーディオの分野ではあまり語られることのなかった、RMEというブランドのバックグラウンドと設計思想について話を聞いた。
■様々な音楽的バックボーンを持ったメンバーが集うRME
―― ハイレゾで音楽再生を楽しむユーザーにとって、いまやRMEは定番のオーディオブランドとなっています。しかし、これまでRMEというブランドがどういう生い立ちで、どういうポリシーで開発を行っているのか、ということはあまり紹介される機会がありませんでした。これを機に、まずお二方の経歴と、RMEがどのように立ち上がったブランドであるのかを教えてください。
マティアス・カーステンズ氏(以下カーステンズ) ドイツでエンジニアになるためには、学校を出てから3年間、電子工学の専門の勉強が必要となります。私はそのカリキュラムを終え、その後楽器店で電子楽器やアンプの修理を担当するエンジニアの仕事に就きました。電子工学の知識があるというだけではなくて、私自身もヘビーメタルバンドでドラムをプレイするミュージシャンでもありました。スタジオにあるアナログミキサーなどの機材は、まさに私のためにあるようなものでしたね(笑)。
その傍らで、電子工学と録音に関わる知識を活かして雑誌に寄稿したりもしました。いずれにしても軸となっていたのは「音楽」で、こうした経験のおかげで、販売チャンネルの方やメディアの方、ミュージシャン等、音楽に関わる色々な人とつながることができたんです。RMEは、そのつながりの過程で自然と立ち上がったブランドです。名前の由来は、もうひとりの創業者であるラルフ・マンネルの頭文字の「R」、私の頭文字の「M」、そしてエレクトロニクスの「E」で「RME」となります。
― 現在、RMEはどのくらいの規模の会社となっているのですか?
カーステンズ RMEはいわゆる「株式会社RME」のような普通の会社ではありません。言ってみれば「チーム」みたいなものですね。ですので、RMEのプロダクトに関わる人達というのは、どこか別の会社に属していたり、フリーランスで活動していたりします。「RMEに関わって何らかのビジネスをやっている人」という意味では、150人くらい、といったところでしょうか。
― ホルトマンさんは、いつからRMEに入ったのでしょうか?
マックス・ホルトマン氏(以下ホルトマン) 私は2006年にRMEに入りました。もともとはミュンヘンの大学で数学を専攻していたのですが、どうしてもピアノの演奏や教育に関わりたいという夢を持っていたんです。そのためには、ドイツでは音大でトーンマイスターの資格を取得する必要があったので、卒業後、改めて音大へ進みました。実はドイツの音大生の半分くらいはRMEのFirefaceを使っていたので、RMEへ入ったことはごくごく自然な流れでした。最初はディストリビューションの仕事をしていましたが、現在ではプロジェクトマネージャーとしての仕事もしています。
― RMEが創業された1990年代後半というのは、デジタルレコーダーはあっても、機材そのものの主役はまだまだアナログだったと思います。そのなかで、なぜデジタルオーディオ機器に的を絞った開発を行うことを選択したのでしょうか?
カーステンズ 当初レコーディングはテープで進められていたわけですが、マスターテープは必ず劣化しますし、色々な面で特性の調整が必要となることが多々ありました。そんな中でデジタルレコーダーが誕生することになるのですが、これはミュージシャンにとって非常に画期的なことだったんです。確かに、当時は音質面ではかなり疑問が残るものでしたが……。ただし、デジタルの利便性というメリットが、私達にとって大きなヒントとなったことは間違いありません。
また、私はプライベートでテープデッキを使っていたのですが、当時「もうこれ以上、テープを増やしたくない」とも思っていたんです。この音源を上手くデジタル化できれば、と。こうしたこともあって、デジタルの利便性はコンシューマーの観点からみても大きな可能性がある、と感じていました。
その時、雑誌の寄稿を通して、いまもRMEの製品に携わるマーティン・カーストとウベ・カーストという兄弟と知り合うことになって、彼らに「高音質でパソコンに取り込めるPCIカードをやってみないか?」と持ち寄ったんです。彼らは「面白いね、じゃあやってみよう」と。こうしてPCIカードの販売をいくつかある事業のひとつとして、RMEがスタートすることになるんです。当時もいまも、まずは「自分が欲しいデバイスを作る」というスタンスは変わっていません。
このBabyface Pro発売に伴い、先日同社の創業者であり、Firefaceシリーズの開発者でもあるマティアス・カーステンズ氏とプロダクトマネージャーのマックス・ホルトマン氏が来日。いままで、コンシューマーオーディオの分野ではあまり語られることのなかった、RMEというブランドのバックグラウンドと設計思想について話を聞いた。
■様々な音楽的バックボーンを持ったメンバーが集うRME
―― ハイレゾで音楽再生を楽しむユーザーにとって、いまやRMEは定番のオーディオブランドとなっています。しかし、これまでRMEというブランドがどういう生い立ちで、どういうポリシーで開発を行っているのか、ということはあまり紹介される機会がありませんでした。これを機に、まずお二方の経歴と、RMEがどのように立ち上がったブランドであるのかを教えてください。
マティアス・カーステンズ氏(以下カーステンズ) ドイツでエンジニアになるためには、学校を出てから3年間、電子工学の専門の勉強が必要となります。私はそのカリキュラムを終え、その後楽器店で電子楽器やアンプの修理を担当するエンジニアの仕事に就きました。電子工学の知識があるというだけではなくて、私自身もヘビーメタルバンドでドラムをプレイするミュージシャンでもありました。スタジオにあるアナログミキサーなどの機材は、まさに私のためにあるようなものでしたね(笑)。
その傍らで、電子工学と録音に関わる知識を活かして雑誌に寄稿したりもしました。いずれにしても軸となっていたのは「音楽」で、こうした経験のおかげで、販売チャンネルの方やメディアの方、ミュージシャン等、音楽に関わる色々な人とつながることができたんです。RMEは、そのつながりの過程で自然と立ち上がったブランドです。名前の由来は、もうひとりの創業者であるラルフ・マンネルの頭文字の「R」、私の頭文字の「M」、そしてエレクトロニクスの「E」で「RME」となります。
― 現在、RMEはどのくらいの規模の会社となっているのですか?
カーステンズ RMEはいわゆる「株式会社RME」のような普通の会社ではありません。言ってみれば「チーム」みたいなものですね。ですので、RMEのプロダクトに関わる人達というのは、どこか別の会社に属していたり、フリーランスで活動していたりします。「RMEに関わって何らかのビジネスをやっている人」という意味では、150人くらい、といったところでしょうか。
― ホルトマンさんは、いつからRMEに入ったのでしょうか?
マックス・ホルトマン氏(以下ホルトマン) 私は2006年にRMEに入りました。もともとはミュンヘンの大学で数学を専攻していたのですが、どうしてもピアノの演奏や教育に関わりたいという夢を持っていたんです。そのためには、ドイツでは音大でトーンマイスターの資格を取得する必要があったので、卒業後、改めて音大へ進みました。実はドイツの音大生の半分くらいはRMEのFirefaceを使っていたので、RMEへ入ったことはごくごく自然な流れでした。最初はディストリビューションの仕事をしていましたが、現在ではプロジェクトマネージャーとしての仕事もしています。
― RMEが創業された1990年代後半というのは、デジタルレコーダーはあっても、機材そのものの主役はまだまだアナログだったと思います。そのなかで、なぜデジタルオーディオ機器に的を絞った開発を行うことを選択したのでしょうか?
カーステンズ 当初レコーディングはテープで進められていたわけですが、マスターテープは必ず劣化しますし、色々な面で特性の調整が必要となることが多々ありました。そんな中でデジタルレコーダーが誕生することになるのですが、これはミュージシャンにとって非常に画期的なことだったんです。確かに、当時は音質面ではかなり疑問が残るものでしたが……。ただし、デジタルの利便性というメリットが、私達にとって大きなヒントとなったことは間違いありません。
また、私はプライベートでテープデッキを使っていたのですが、当時「もうこれ以上、テープを増やしたくない」とも思っていたんです。この音源を上手くデジタル化できれば、と。こうしたこともあって、デジタルの利便性はコンシューマーの観点からみても大きな可能性がある、と感じていました。
その時、雑誌の寄稿を通して、いまもRMEの製品に携わるマーティン・カーストとウベ・カーストという兄弟と知り合うことになって、彼らに「高音質でパソコンに取り込めるPCIカードをやってみないか?」と持ち寄ったんです。彼らは「面白いね、じゃあやってみよう」と。こうしてPCIカードの販売をいくつかある事業のひとつとして、RMEがスタートすることになるんです。当時もいまも、まずは「自分が欲しいデバイスを作る」というスタンスは変わっていません。
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