[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域
【第117回】DSDとは何か? 原理や音の特徴、おすすめソフトまでまるごと紹介
■DSD、どうして少数派?
デジタル記録・再生の原理からして異なるわけだから、PCMとDSDにはそれぞれお互いにはない長所と短所がある。しかしデジタル音声といえば、そのほとんどがPCMであるというのが現状だ。その現状を生み出している大きな要素のひとつである、PCMの長所でありDSDの短所である箇所。それは「編集性」だ。
例えば長文メールや大学や会社に出すレポートや書類のテキストを作成する場合、テキストの「エディット=編集」機能は欠かせないものだろう。例えばコピー&ペースト。参考文献からの引用コピペに文章の推敲での並び替えコピペ。それができなかったとしたらどんなに不便だろう。その不便さのせいで、テキストができあがるまでの速度もできあがりのクオリティも低下するかもしれない。テキストの「インプット=入力」しかできなくて「エディット=編集」ができない環境でのテキスト作成なんて、多くの方にとっていまや想像しづらいものだろう。
この話は「テキスト」を「音楽」に置き換えてもおおよそ通じる場合が多い。現代の音楽は演奏の「インプット(録音)」だけでは完成せず、そこに様々な「エディット(編集)」による推敲、あるいは加工を行うことで完成させる手法やスタイルも多いのだ。
これは「演奏が上手ければ編集も修正も必要ないだろ?」とかそういう問題ではない。例えば「舞台演劇」と「映画」では演技も演出も構成も異なるのと似たようなものだ。客席からの見え方や聴こえ方ではなくカメラとマイクへの映り方と聴こえ方を意識した演技。客席からの俯瞰とは異なるカメラワークやカット切り替えで視線や焦点を導く演出。場所も時系列も撮影順序も制約なく自在に並べられることで実現する構成。例えばそれらは舞台ではなく映画ならではの表現と言える。良し悪しではなく「違う」ということだ。
…と、現在の音楽における「編集」の意味合いと重要性を語り終えたところでDSDなのだが、DSDはその「編集性」が極めて低い。「DSDをDSDのままコピペすることすら難しい」とかそういうレベルで低い。「記録原理からして編集には向いてない」ということのようで、根本的な解決は難しいようだ。
なのでDSDは現代的な音楽制作スタイルとは相性がよろしくなく、実際に少数派で、なのでDSD配信音源も多くはない…というのが現状だ。