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[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域

【第175回】音楽の言葉、オーディオの言葉

公開日 2017/01/13 10:30 高橋 敦
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そしてもう一つの「歪み」だが、こちらもまずは音響的あるいは電子的な狭義の話でいうと、「本来の音声信号の波形の頭が潰れるなどして変形してしまうことが歪み」という感じだ。

「演奏のダイナミクス」の例として出した、ギターの歪みの話を読み返してみていただければと思う。波形の頭が潰れるとあんな具合に音色が変わる。ギターのディストーションほど極端で明確な歪みでなくても、アナログの機材を通すだけで倍音構成が微妙に変化したりといったことは起きていたりするのだ。

さて、もうお気付きだろう。ギターの歪みは今やそれこそがエレクトリックギターの醍醐味と認識する方が多いように、あるいはそれが当然すぎてもはや認識さえされていないように、完全に意図された歪みだ。ギターに限らず電子楽器全般で、音色を意図的に歪ませることは珍しくなくなっている。

また録音においてビンテージやそれを模したアナログテープレコーダーやミキサー、コンプレッサー、マイクアンプといったものが重用される理由の一つは、それらがもたらす自然なサチュレーションだ。サチュレーションとは飽和。この飽和とはギターの歪みの話で使った「10が限度のところに12を突っ込む」と同じ話で、要は歪みであり、自然なサチュレーションとは適度で心地良い歪み感のことだ。そういった機材をあえて選んで使っているならば、それは録音における意図と言える。

つまりノイズと同じく歪みについても音楽的な観点からは、「音楽家や録音技術者が意図した歪みは音楽の一部」と考えるのが、現在においてはおおよそ妥当なところだろう。この「ノイズ」と「歪み」についての考え方や扱い方は、音楽を作る側とそれを再生するオーディオ側とでの違いが特に大きい要素と思える。

音楽側はまあ、自由だ。例えばギターアンプの多くは「いい感じに歪む」ように設計されているが、オーディオアンプ専門の設計者からしたら「いい感じに歪むだと?お前は何を言っているんだ?」って話だろう。

オーディオ側は原則的には「記録されている信号を忠実に復元し、増幅することが理想。どんないい感じのノイズや歪みであっても、それが再生時に混入するものであればそれは排除されるべきもの」というのが基本だ。とはいえ、アナログ盤や真空管アンプにおいてはレコードらしいあのノイズや増幅回路のサチュレーションも、オーディオの意図の一部になるだろう。しかしそれは基本ではなく例外の話なのだ。

というように、ここは音楽とオーディオで相容れない部分が少なからずある。またオーディオの範疇においても、ノイズや歪みをどの程度許容するかしないかというのは、感じ方が意外に幅広く分かれるところだ。その感覚の違いをあらかじめ汲んでおくことが、話の食い違いを無くすためにも良いだろう。



今回はいつにも増して読み物的に、具体的な製品等の話は全くせずに、概念的な話題を取り上げてみた。

取り上げた言葉それ自体は「ダイナミクス」「倍音」「ノイズ」と、どれにしても極めて基本的な用語だ。しかし基本だからこそ、そこの理解にずれがあると、話の噛み合わなさは盛大になってしまう。改めて確認しておいて損はなかった(…はず)。

今回取り上げていないものでも、オーディオレビューで何となく使われていて何となく受け取っている言葉というのは、少なからずあると思う。何となくでもお互いに通じているのであれば、とりあえずは問題ないだろう。

しかし何か通じてないかも?という感覚があった場合は、そこで使われている言葉の解釈がお互いで違ってしまっているのかもしれない。そんなときは一度、そこで使われている言葉を再確認してみるのも良いのではないだろうか。

高橋敦 TAKAHASHI,Atsushi
趣味も仕事も文章作成。仕事としての文章作成はオーディオ関連が主。他の趣味は読書、音楽鑑賞、アニメ鑑賞、映画鑑賞、エレクトリック・ギターの演奏と整備、猫の溺愛など。趣味を仕事に生かし仕事を趣味に生かして日々活動中。


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