公開日 2024/12/02 06:30
Presented by オーディオランド
連載:世界のオーディオブランドを知る(2)オーディオの“一等星”であり続ける「マランツ」の歴史を紐解く
大橋伸太郎
これまでに多くの世界的なオーディオブランドが誕生してきているが、そのブランドがどのような歴史を辿り、今に至るのかをご存知だろうか。オーディオファンを現在に至るまで長く魅了し続けるブランドは多く存在するが、その成り立ちや過去の銘機については意外に知識が曖昧...という方も少なくないのではないだろうか。
そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第2回目となる本稿では「マランツ(Marantz)」ブランドについて紹介しよう。
マランツの創始者ソウル・バーナード・マランツは、1911年にニューヨークで生まれた。少年時代から電気機器に深い興味を抱き、海軍で電気機器を担当した経歴を持つがあくまでハイアマチュアであり、職業はインダストリアルデザイナーだった。
1951年、市販のプリアンプの性能に不満を抱いたマランツは、乱立するすべてのレコード規格に対応するフォノイコライザー付のプリアンプを製作する。「オーディオ・コンソレット」と名付けられたそれは、マンハッタンのラジオ店に並べられると大評判を呼び、自信を得たマランツは1953年、ロングアイランドに事務所兼工場のマランツ・カンパニーを開設する。以後70年以上オーディオをリードするマランツは、こうして始まりを迎えた
ニューヨークの音楽界では、若手指揮者レナード・バーンスタインがセンセーショナルな登場を果たし、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンが次代の音を奏でていた。アメリカは史上最も豊かな時代を迎え、ハイファイ熱が高まっていく。
1958年にステレオLPが販売開始され、マランツ・カンパニーは管球式ステレオプリアンプ「Model 7」を発表する。内部構造と機能に直結した用の美をベースにしながら、完璧な視覚上のバランスを実現した佇まいは、エンジニア兼デザイナーのソウル・B・マランツなればこその20世紀を代表する傑作デザインであり、日本をはじめ全世界のオーディオデザインに現在まで深い影響を与え続けている。
ステレオ時代の到来は、オーディオ機器のハイパワー化を呼ぶ。2年後の1960年に管球式モノラルパワーアンプ「Model 9」を発表、フロントパネル中央には、現在まで同社のシンボルとして継承される円形のセンターメーターが配されていた。Model 7とModel 9のペアは性能、価格とも他と隔絶した独立峰のごとき存在であり、トランジスタ時代になっても世界中のハイファイファンの憧れであり続けた。
怒濤のごとく快進撃を続けるマランツだったが、FMチューナー開発への過大な投資がたたり経営が悪化。ソウル・バーナード・マランツは経営権を売却して、1964年に第一線から引退してしまう。活動することわずか10年余....。しかし、その間に生まれた名作達 “オールド・マランツ” は今も、後進達があおぐオーディオの指標として輝き続けている。
マランツの新オーナーとなったのが、ハリウッドの映画関連産業のスーパースコープ社だった。折しも、オーディオのデバイスは真空管からトランジスタへ代替が急であった。新経営陣のもと、Model 7をソリッドステーツ化した「Model 7T」、トランジスタ方式で60W+60W(8Ω)のハイパワーを実現したアンプ「Model 15」が発売され、市場から好評裡に迎えられた。マランツの声望はますます高まっていく。
そのような中、ブリティッシュ・インヴェイジョンがアメリカに吹き荒れ若者の音楽が台頭し、ハイファイは一部の富裕層の専有物でなくなっていた。経営陣はアンプとチューナーが一体のレシーバーに、豊かな市場性をみた。しかし、従来のマランツのやり方では生産台数も少なく、高額な製品しか作れない。そこで注目したのが、日本のエレクトロニクス産業だった。
朝鮮戦争特需を経験し、日本のエレクトロニクス産業は飛躍的に力をつけ、アメリカを脅かす存在になりつつあった。スーパースコープ社はソニーのテープレコーダーの北米における独占販売権で潤った会社でもあり、そんな新生マランツがパートナーとして選んだのが東京のスタンダード工業だった。
マランツが同社に試作品を依頼すると結果はすこぶる良く、たちまちステレオレシーバー「Model 19」に結実し、アメリカでベストセラーとなる。以後、続々とプリメインアンプやステレオチューナーと、スタンダード工業のOEM生産によるマランツ製品が生まれていく。スタンダード工業は1975年、「日本マランツ株式会社」に生まれ変わる。
この時代のマランツ製品は、アメリカ・カリフォルニアで生産されたハイエンドと日米合作の量販機種の二つの流れがあり、前者のハイパワーアンプ「Model 500/Model P510M」、プリアンプ「Model P3600」は、現在も高い評価を得ている。一方後者の代表プリメインアンプ「Model 1150/1250」は、ゴージャスなゴールドのフロントパネルとブリリアントなサウンドが日本のファンを魅了、オーディオ専門誌のアワードを総なめにした。
そこで本連載では、オーディオ買取専門店「オーディオランド」のご協力のもと、ヴィンテージを含む世界のオーディオブランドを紹介。人気ブランドの成り立ちから歴史、そして歴代の銘機と共に評論家・大橋伸太郎氏が解説する。第2回目となる本稿では「マランツ(Marantz)」ブランドについて紹介しよう。
■エンジニア兼デザイナーであったマランツの創始者、ソウル・バーナード・マランツ
マランツの創始者ソウル・バーナード・マランツは、1911年にニューヨークで生まれた。少年時代から電気機器に深い興味を抱き、海軍で電気機器を担当した経歴を持つがあくまでハイアマチュアであり、職業はインダストリアルデザイナーだった。
1951年、市販のプリアンプの性能に不満を抱いたマランツは、乱立するすべてのレコード規格に対応するフォノイコライザー付のプリアンプを製作する。「オーディオ・コンソレット」と名付けられたそれは、マンハッタンのラジオ店に並べられると大評判を呼び、自信を得たマランツは1953年、ロングアイランドに事務所兼工場のマランツ・カンパニーを開設する。以後70年以上オーディオをリードするマランツは、こうして始まりを迎えた
ニューヨークの音楽界では、若手指揮者レナード・バーンスタインがセンセーショナルな登場を果たし、マイルス・デイヴィスやジョン・コルトレーンが次代の音を奏でていた。アメリカは史上最も豊かな時代を迎え、ハイファイ熱が高まっていく。
1958年にステレオLPが販売開始され、マランツ・カンパニーは管球式ステレオプリアンプ「Model 7」を発表する。内部構造と機能に直結した用の美をベースにしながら、完璧な視覚上のバランスを実現した佇まいは、エンジニア兼デザイナーのソウル・B・マランツなればこその20世紀を代表する傑作デザインであり、日本をはじめ全世界のオーディオデザインに現在まで深い影響を与え続けている。
ステレオ時代の到来は、オーディオ機器のハイパワー化を呼ぶ。2年後の1960年に管球式モノラルパワーアンプ「Model 9」を発表、フロントパネル中央には、現在まで同社のシンボルとして継承される円形のセンターメーターが配されていた。Model 7とModel 9のペアは性能、価格とも他と隔絶した独立峰のごとき存在であり、トランジスタ時代になっても世界中のハイファイファンの憧れであり続けた。
怒濤のごとく快進撃を続けるマランツだったが、FMチューナー開発への過大な投資がたたり経営が悪化。ソウル・バーナード・マランツは経営権を売却して、1964年に第一線から引退してしまう。活動することわずか10年余....。しかし、その間に生まれた名作達 “オールド・マランツ” は今も、後進達があおぐオーディオの指標として輝き続けている。
■日本のエレクトロニクス産業に着目した新生マランツ
マランツの新オーナーとなったのが、ハリウッドの映画関連産業のスーパースコープ社だった。折しも、オーディオのデバイスは真空管からトランジスタへ代替が急であった。新経営陣のもと、Model 7をソリッドステーツ化した「Model 7T」、トランジスタ方式で60W+60W(8Ω)のハイパワーを実現したアンプ「Model 15」が発売され、市場から好評裡に迎えられた。マランツの声望はますます高まっていく。
そのような中、ブリティッシュ・インヴェイジョンがアメリカに吹き荒れ若者の音楽が台頭し、ハイファイは一部の富裕層の専有物でなくなっていた。経営陣はアンプとチューナーが一体のレシーバーに、豊かな市場性をみた。しかし、従来のマランツのやり方では生産台数も少なく、高額な製品しか作れない。そこで注目したのが、日本のエレクトロニクス産業だった。
朝鮮戦争特需を経験し、日本のエレクトロニクス産業は飛躍的に力をつけ、アメリカを脅かす存在になりつつあった。スーパースコープ社はソニーのテープレコーダーの北米における独占販売権で潤った会社でもあり、そんな新生マランツがパートナーとして選んだのが東京のスタンダード工業だった。
マランツが同社に試作品を依頼すると結果はすこぶる良く、たちまちステレオレシーバー「Model 19」に結実し、アメリカでベストセラーとなる。以後、続々とプリメインアンプやステレオチューナーと、スタンダード工業のOEM生産によるマランツ製品が生まれていく。スタンダード工業は1975年、「日本マランツ株式会社」に生まれ変わる。
この時代のマランツ製品は、アメリカ・カリフォルニアで生産されたハイエンドと日米合作の量販機種の二つの流れがあり、前者のハイパワーアンプ「Model 500/Model P510M」、プリアンプ「Model P3600」は、現在も高い評価を得ている。一方後者の代表プリメインアンプ「Model 1150/1250」は、ゴージャスなゴールドのフロントパネルとブリリアントなサウンドが日本のファンを魅了、オーディオ専門誌のアワードを総なめにした。