【連載】PIT INNその歴史とミュージシャンたち
第9回:渡辺香津美さん が語る「新宿ピットイン」と「六本木ピットイン」<後編>
前回に引き続き、特別ゲストは高校生の頃から「新宿ピットイン」に出演し、「六本木ピットイン」でも大活躍をした日本を代表するギタリスト、渡辺香津美さん。<前編>では、アマチュア時代を経てプロになって一本立ちするまでのキャリアを振り返った。<後編>は、渡辺香津美の名前を一躍世界に轟かせた『TO CHI KA』の話題からスタートしよう。(前編を読む)
ピットインは成長のための本当に重要な場だった
僕たちはラッキーな時代にライブができたと思う
『TO CHI KA』が新しい出発点
ギター人口への貢献も計り知れない
佐藤:長年に渡って第一線で活躍している香津美さんにとって、80年の『TO CHI KA』は、特にエポックメイキングなアルバムだったといえますね。
渡辺:ええ、そうです。『TO CHI KA』が自分の新しい出発点になったのは確かですね。
佐藤:ニューヨークで若手一流ミュージシャンを集めての録音。これがまた大ベストセラーになりました。トチカ・バンドは「六本木ピットイン」にも出てもらってますよね。マイク・マイニエリ、ウォーレン・バーンハート、マーカス・ミラー、オマー・ハキム。凄いメンバーです。
渡辺:考えてみれば「六本木ピットイン」は本当に自分のキャリアのなかで重要な場所でした。
佐藤:この頃、フュージョンが盛り上がっていたのは、ギターの牽引力が大きかったような気がします。本当のギター好きがライブに足を運んでくれた。推測でしかないけど、お客さんの9割がギターをやっている感じがしたときもあった。
渡辺:今も昔もそうだけど、ギターファンは、機材セッティングに対してまなざしが真剣ですね。ステージからでもわかりますよ。
佐藤:ただまあ、機材を真似しても、テクニックの真似はできないんだけどね(笑)。でもそういう意味では、日本のギタリスト人口への、香津美さんの貢献といったら大変なものですよ。これは間違いない。
渡辺:それをいったら「六本木ピットイン」の功績も大きいですよ。ステップス(マイニエリ、マイケル・ブレッカーらによるスーパー・バンド)のメンバーも「とてもやりやすいライブハウスだ」と言ってました。
佐藤:ステップスは「六本木」でライブ盤(『スモーキン・イン・ザ・ピット』)を残していますね。香津美さんもゲストで参加している。
渡辺:あのアルバムは世界中のミュージシャンが知っています。リアルタイムではない、若い世代からも「あれはいいよね」ってよく声をかけられる。
佐藤:名盤ですよ。特に、亡きマイケルが絶好調でした。マイニエリのプロデュース力も素晴らしいし。ところで、このアルバムは『TO CHI KA』とほぼ同じ時期だけど、どっちが早かったのかな。
渡辺:『TO CHI KA』でマイニエリと知り合って『スモーキン・イン・ザ・ピット』に誘ってもらったといういきさつですね。ツアーも一緒に回って、ものすごく勉強になりました。マイケルはあんなにうまいのに、楽屋で絶えず練習していました。こちらも負けずに励みましたよ。
共演者からエネルギーをもらって
それをギターに反映させて楽しむ
佐藤:それで80年以降に「香津美バンド」が活動を開始する。
渡辺:キーボードが笹路正徳、サックスが清水靖晃、ベースは高水健司、ドラムが山木秀夫のバンドでした。
佐藤:そうかと思うと、84年には「MOBO倶楽部」を新結成して、やっぱり「六本木」で5日連続のライブをやっている。振り返ると、常にいくつものプロジェクトを立ち上げているよね。しかも、フュージョンだけではなくて「新宿ピットイン」では、ピュアなジャズもやっていた。そこが、香津美さんの凄いところだな。
渡辺:「新宿」では「新宿」らしく、変なことをやってました。特殊なダブルネックのギターで演奏したり。
佐藤:よく切り替えができるよね。
渡辺:いや、切り替えていないですよ(笑)。
佐藤:そこが天才なんだ。普通はアコースティックな4ビートとフュージョンを簡単に行ったり来たりできないものでしょう。
渡辺:本当は苦しかったんです。
佐藤:(爆笑)。いやいや、そんなこと絶対にない。楽しそうにやっていたし。
渡辺:ただ、僕は共演者のエネルギーをもらって、それをギターに反映させて面白がっているところはあります。たとえば坂田明さんと一緒にやるとしたら、坂田さんの世界に浸って、それを楽しんじゃう。
佐藤:なるほど。でも才能がなければ、楽しむ余裕なんてないからね。
ピットインは成長のための本当に重要な場だった
僕たちはラッキーな時代にライブができたと思う
『TO CHI KA』が新しい出発点
ギター人口への貢献も計り知れない
佐藤:長年に渡って第一線で活躍している香津美さんにとって、80年の『TO CHI KA』は、特にエポックメイキングなアルバムだったといえますね。
渡辺:ええ、そうです。『TO CHI KA』が自分の新しい出発点になったのは確かですね。
佐藤:ニューヨークで若手一流ミュージシャンを集めての録音。これがまた大ベストセラーになりました。トチカ・バンドは「六本木ピットイン」にも出てもらってますよね。マイク・マイニエリ、ウォーレン・バーンハート、マーカス・ミラー、オマー・ハキム。凄いメンバーです。
渡辺:考えてみれば「六本木ピットイン」は本当に自分のキャリアのなかで重要な場所でした。
佐藤:この頃、フュージョンが盛り上がっていたのは、ギターの牽引力が大きかったような気がします。本当のギター好きがライブに足を運んでくれた。推測でしかないけど、お客さんの9割がギターをやっている感じがしたときもあった。
渡辺:今も昔もそうだけど、ギターファンは、機材セッティングに対してまなざしが真剣ですね。ステージからでもわかりますよ。
佐藤:ただまあ、機材を真似しても、テクニックの真似はできないんだけどね(笑)。でもそういう意味では、日本のギタリスト人口への、香津美さんの貢献といったら大変なものですよ。これは間違いない。
渡辺:それをいったら「六本木ピットイン」の功績も大きいですよ。ステップス(マイニエリ、マイケル・ブレッカーらによるスーパー・バンド)のメンバーも「とてもやりやすいライブハウスだ」と言ってました。
佐藤:ステップスは「六本木」でライブ盤(『スモーキン・イン・ザ・ピット』)を残していますね。香津美さんもゲストで参加している。
渡辺:あのアルバムは世界中のミュージシャンが知っています。リアルタイムではない、若い世代からも「あれはいいよね」ってよく声をかけられる。
佐藤:名盤ですよ。特に、亡きマイケルが絶好調でした。マイニエリのプロデュース力も素晴らしいし。ところで、このアルバムは『TO CHI KA』とほぼ同じ時期だけど、どっちが早かったのかな。
渡辺:『TO CHI KA』でマイニエリと知り合って『スモーキン・イン・ザ・ピット』に誘ってもらったといういきさつですね。ツアーも一緒に回って、ものすごく勉強になりました。マイケルはあんなにうまいのに、楽屋で絶えず練習していました。こちらも負けずに励みましたよ。
共演者からエネルギーをもらって
それをギターに反映させて楽しむ
佐藤:それで80年以降に「香津美バンド」が活動を開始する。
渡辺:キーボードが笹路正徳、サックスが清水靖晃、ベースは高水健司、ドラムが山木秀夫のバンドでした。
佐藤:そうかと思うと、84年には「MOBO倶楽部」を新結成して、やっぱり「六本木」で5日連続のライブをやっている。振り返ると、常にいくつものプロジェクトを立ち上げているよね。しかも、フュージョンだけではなくて「新宿ピットイン」では、ピュアなジャズもやっていた。そこが、香津美さんの凄いところだな。
渡辺:「新宿」では「新宿」らしく、変なことをやってました。特殊なダブルネックのギターで演奏したり。
佐藤:よく切り替えができるよね。
渡辺:いや、切り替えていないですよ(笑)。
佐藤:そこが天才なんだ。普通はアコースティックな4ビートとフュージョンを簡単に行ったり来たりできないものでしょう。
渡辺:本当は苦しかったんです。
佐藤:(爆笑)。いやいや、そんなこと絶対にない。楽しそうにやっていたし。
渡辺:ただ、僕は共演者のエネルギーをもらって、それをギターに反映させて面白がっているところはあります。たとえば坂田明さんと一緒にやるとしたら、坂田さんの世界に浸って、それを楽しんじゃう。
佐藤:なるほど。でも才能がなければ、楽しむ余裕なんてないからね。
「連載:PIT INN その歴史とミュージシャンたち」は、音元出版発行のアナログオーディオ&Newスタイルマガジン「季刊・analog」からの転載記事となります。「季刊・analog」のバックナンバーはこちらから購入いただけます。 |