「映画館で観るのと遜色ない」
『この世界の片隅に』BD/DVD本日発売! 片渕須直監督 単独ロングインタビュー
―― その時代の方にお話が聞けるのも、ぎりぎりの時期になってきていますよね。
片渕氏 そうですね。お話を聞いたのは戦争を体験された方だけに限りません。当時のエンジン工場について知っていらっしゃる方や、広電に詳しい方、また知識としてだけでなく、こういうことだと分かるものを持っていらっしゃる方も。そういうことを積み上げていくことでしか、世界は表現できないなと思っていました。
―― 制作時に、出会った方で印象に残った方はいらっしゃいますか?
片渕氏 呉の観光ボランティアという形で、戦争中ここでこういうことがあったんだ、ということを説明していらっしゃる年配の方々がいらっしゃって。その方たちは戦争中ちょうど中学生くらいだったんですけど、『この世界の片隅に』はこういう作品なんですよ、とお話してみたら、「あー、それはわしらじゃなくて、わしらの姉ちゃんに聞いてもらうべきじゃったなあ」っておっしゃったのが印象的でした。
その方達は、戦争中の呉でどういう風なことがあったのか、そして今はこんな建物が残っていてこういう由来があって、ということは喋れるし、自分が子供の頃に経験したことをもちろん覚えていらっしゃる。それでも「わしらの姉ちゃんの世界やなぁ」と言われたのは、おそらく実際に見ているものが違うんですね。昔のこと知っていらっしゃるといっても、それぞれの方々の目で見た、それぞれの“片隅に”というわけなんです。
―― 全体像を俯瞰しているわけではないですものね。
片渕氏 そうなんですよ。もし俯瞰しているようなら、そのお話は他から得たものなんですよね。
―― 原作と比べて深みをもたせようと思った部分はあったのでしょうか。例えば、男性の描き方についてとか。
片渕氏 戦争中の世界ですからね。男性はあらゆる面で戦争の中にいるわけです。それは兵隊になって戦争に行くということだけでなく、飛行機工場に勤めているとか、そういう形であったりするわけです。女性も当時、未婚の方がいろんな形で働いてたんですよ。例えば、いなくなった男性の代わりに電車の運転手をするとか。でも結婚した人は、家庭を守るという当時の大義名分みたいなものがあるので、そういうことにはならなかったみたいです。
終戦になって男の人たちは、戦争に負けたからと書類やら何やらを燃やし始めます。でも、そういった女性たちは戦争が終わったからといって、ご飯をつくるのをやめるわけにはいきません。やはりその日の晩御飯のために火を焚き始めたんだな、と思いました。そこに当時の男性と家庭にいた女性との大きな違いや思い、あるいは役回りの違いが出てくる気がしたんです。
―― 終戦を迎えて、すずさんが感情を爆発させるシーンがあります。
片渕氏 冒頭のセリフですずさんは、「うちはボーッとしとる」と語り始めます。それからボーッとしている間に結婚相手が決まって。ボーッとしている間に汽車で結婚相手のところにお嫁にいくことになってしまって……。行った先の街がどんなところなのかも知らず、どんな家族と一緒に住むことになったのかも気付いていない。
当然、周りで起こっている戦争というものにも気が付かないし、毎日作っている料理の食材がどこから来たのかにも気付かない。彼女はいろんなものを戦争で失ったけれど、自分は戦争とどういう関わりがあるのかについては気が付かない、相変わらずの立場のままです。でもそれは、当時の多くの人たちがそうだったと思うんです。
その後、徐々に戦争を推し進める側の意識に彼女は変わっていってしまうわけですが、戦争が終わった瞬間そのことに気付いたんじゃないかと思うんです。それは次の時代への出発点でもあると思います。
―― 原作にあったエピソードで、エンディングに挿入されているものがありますが、その意図はなんでしょうか?
片渕氏 エンディングが2つありまして、それぞれに物語があります。
片渕氏 そうですね。お話を聞いたのは戦争を体験された方だけに限りません。当時のエンジン工場について知っていらっしゃる方や、広電に詳しい方、また知識としてだけでなく、こういうことだと分かるものを持っていらっしゃる方も。そういうことを積み上げていくことでしか、世界は表現できないなと思っていました。
―― 制作時に、出会った方で印象に残った方はいらっしゃいますか?
片渕氏 呉の観光ボランティアという形で、戦争中ここでこういうことがあったんだ、ということを説明していらっしゃる年配の方々がいらっしゃって。その方たちは戦争中ちょうど中学生くらいだったんですけど、『この世界の片隅に』はこういう作品なんですよ、とお話してみたら、「あー、それはわしらじゃなくて、わしらの姉ちゃんに聞いてもらうべきじゃったなあ」っておっしゃったのが印象的でした。
その方達は、戦争中の呉でどういう風なことがあったのか、そして今はこんな建物が残っていてこういう由来があって、ということは喋れるし、自分が子供の頃に経験したことをもちろん覚えていらっしゃる。それでも「わしらの姉ちゃんの世界やなぁ」と言われたのは、おそらく実際に見ているものが違うんですね。昔のこと知っていらっしゃるといっても、それぞれの方々の目で見た、それぞれの“片隅に”というわけなんです。
―― 全体像を俯瞰しているわけではないですものね。
片渕氏 そうなんですよ。もし俯瞰しているようなら、そのお話は他から得たものなんですよね。
―― 原作と比べて深みをもたせようと思った部分はあったのでしょうか。例えば、男性の描き方についてとか。
片渕氏 戦争中の世界ですからね。男性はあらゆる面で戦争の中にいるわけです。それは兵隊になって戦争に行くということだけでなく、飛行機工場に勤めているとか、そういう形であったりするわけです。女性も当時、未婚の方がいろんな形で働いてたんですよ。例えば、いなくなった男性の代わりに電車の運転手をするとか。でも結婚した人は、家庭を守るという当時の大義名分みたいなものがあるので、そういうことにはならなかったみたいです。
終戦になって男の人たちは、戦争に負けたからと書類やら何やらを燃やし始めます。でも、そういった女性たちは戦争が終わったからといって、ご飯をつくるのをやめるわけにはいきません。やはりその日の晩御飯のために火を焚き始めたんだな、と思いました。そこに当時の男性と家庭にいた女性との大きな違いや思い、あるいは役回りの違いが出てくる気がしたんです。
―― 終戦を迎えて、すずさんが感情を爆発させるシーンがあります。
片渕氏 冒頭のセリフですずさんは、「うちはボーッとしとる」と語り始めます。それからボーッとしている間に結婚相手が決まって。ボーッとしている間に汽車で結婚相手のところにお嫁にいくことになってしまって……。行った先の街がどんなところなのかも知らず、どんな家族と一緒に住むことになったのかも気付いていない。
当然、周りで起こっている戦争というものにも気が付かないし、毎日作っている料理の食材がどこから来たのかにも気付かない。彼女はいろんなものを戦争で失ったけれど、自分は戦争とどういう関わりがあるのかについては気が付かない、相変わらずの立場のままです。でもそれは、当時の多くの人たちがそうだったと思うんです。
その後、徐々に戦争を推し進める側の意識に彼女は変わっていってしまうわけですが、戦争が終わった瞬間そのことに気付いたんじゃないかと思うんです。それは次の時代への出発点でもあると思います。
―― 原作にあったエピソードで、エンディングに挿入されているものがありますが、その意図はなんでしょうか?
片渕氏 エンディングが2つありまして、それぞれに物語があります。
次ページアニメーションならではのいろんな技法を表現として取り入た