[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域
【第138回】実録:FitEar 須山氏×Just ear 松尾氏スペシャル対談『あなたのお耳にジャストフィット!』
■遮音性とダイナミックレンジとサウンド
須山: 実は、完全密閉の気密環境でも動くダイナミック型ドライバーを物色している過程で、某社のダイナミック型を分解したことがあったんですが、そのドライバーは振動板もしっかりしていて完全密閉でもグイグイ鳴るすごくいいユニットでした。でも低域側はいいのだけれど、高域側は出ない。ダイナミックの場合、どうしてもドライバー口径と振動板の厚みと軽さ等がぜんぶ関連して、低域にも高域にも応答性にも影響するので…
高橋: それは某社のそれがステージモニターとして遮音性を重視して密閉性を特に高めているシリーズだったからというのもあるんでしょうか?
須山: BAを使ったイヤーモニターよりも安価で、でもしっかり密閉して遮音性も確保し、音圧も出てよく鳴る…というニーズでそういう振動板を採用したのではないかと思いますね。
高橋: いまのお話は「FitEar Air」のキーポイントにもつながると思います。ハイブリッド…というかダイナミック型ドライバーを使ってイヤーモニターを作る上での大きな課題なんですよね。
須山: そうです。
高橋: 遮音性を高めるために密閉性を高めると、そこに閉じ込められた空気の圧力というか弾性・バネ性によって、振動板が自由に動きにくくなってしまうという。
須山: 鼓膜があって、外耳道があって、振動板がある。ここが完全に密閉されていると、空気がバネになってしまうんですよね。押そうとすると抵抗が出てくるし、戻ろうとすると引っ張られる。
高橋: 職人さんがぴったり仕上げたタンスの引き出しを勢いよく押してしまうとぼんと跳ね返されたり、他の段の引き出しがぽんと飛び出たりする感じを思い出しますね。
須山: 空気って“粘り”があるんで。振動板をワイドレンジに使って、瑞々しい音にしたいとなると、薄くて軽くて大きい振動板が必要になりますが、そうすると空気バネに負けてしまって理想的な動きができないんですよ。振動板の鼓膜側だけじゃなく、後ろ側の背圧でも同じ問題が出ます。それでたいていのイヤホンの筐体には、よく見るとすごく小さなピンホールみたいなものがあります。前面にしても背面にしても、こういったスリット等を設けて振動板の動きに合わせて空気を逃がしたり吸い込んだりするアプローチが一般的で、これによって振動板の動きやすさ・変形しにくさを確保しているんです。
高橋: FitEarの場合、ステージモニターとして高度な遮音性が求められるので、従来はダイナミック型の採用は難しかったと思います。しかし、リスニング用としてそこまで高度な遮音性は絶対条件ではないであろうFitEar Airも、既存モデルに近いレベルの遮音性を確保していますよね。須山さんはかねてからリスニングアイテムとしてのCIEMの優位として「ダイナミックレンジ」を挙げていらっしゃいますし。
須山: ステージモニターに求められる遮音性とは若干異なるんですが、リスニング時にダイナミックレンジをどう表現できるかを考えたとき、遮音性が低いイヤホンだと周囲の雑音に対してボリュームを上げたくなります。しかしそうすると、今度はボリュームが大きすぎてうるさくなり、ダイナミックレンジが狭小化していってしまうじゃないですか。なので、ステージモニターであるCIEMからの流れで確保してきていた「静寂性」の部分を、FitEar Airの開発で最優先に考えたんです。そこは、Just earさんとは重視する部分の違い、製品の違いが出ているんじゃないかなと思います。
高橋: たしかにJust earは、カスタムで耳にぴったりフィットするので遮音性も確保されてはいますが、そこを特に重視しているというわけでもないように感じます。
松尾: Just earを始めるにあたってアーティストの方の意見を聞くこともあったんですが、やはり遮音性と感度が重要だという意見でした。でも私の考えていたダイナミック型構造だと、それは難しいということを最初の段階で判断しました。元々、アーティスト向けのステージモニターだと、参入するにしても後発になりますし経験がない中では難しいので、自分がこれまでに経験してきたオーディオファンに向けた製品として開発するべきだなと思って始めたんです。でも一般のオーディオファンの方も、遮音性や音漏れを気にされていると感じていましたので、そこにどこまで対応できるかというのは課題としては持っていました。800STやEX1000くらいの遮音性能や音漏れ具合だと、いまの時代ではちょっと厳しいのかなという印象は持っていましたので。
高橋: その辺ついても、昔の方がおおらかでしたからね。
松尾: EX90なんていまの感覚からすれば遮音性も低かったし音漏れも多かったんですけど。その頃に比べて、今ではイヤホン製品の密閉度も遮音性も上がって、お客様の求めるものも変わっているなと思います。とはいえこれまでの経験から、完全な遮音性を実現していなくてもそれを好むお客様もいらっしゃるだろうし、受け入れられる部分もあるだろうなと思って、最終的にJust earではいまのレベルの遮音性能に落ち着いたんです。遮音性を下げたいわけではなかったんですが、音質面で理想の特性を実現する上ではある程度の通気を持たせなければいけなかったので、結果的に遮音性を高くはできなかったという感じです。
須山: 広がりや開放感、艶やかさや伸びといった部分は、完全密閉を目指すとスポイルされる部分なので。そこのところは、ユーザーさんがどういう場所で使いたいか、どういう音を求めているかによって良いものを選んで頂きたいですね。…というわけで、どっちも買ってください!
高橋: 場所の話をすると、遮音性が高いイヤホンは室内でも街中でもそれほど落差なく、安定して良い音を楽しめますよね。でも逆に、音が変わっても外の音が入ってきても、それはそれでいいって思う方もいるでしょうからね。
松尾: ちなみに私が自分でJust earを聴いていていちばん音がいいなと思う環境は、帰宅時に電車を降りて駅から家まで歩く夜の住宅街なんですよ。
高橋: 電車内でのうるささに耳が慣れてからの静けさという、落差がよいのかもしれないですね。
松尾: 静かな空間での広がりや気持ちよさもありまして。Just earは、環境によって感じ方が変わると思います。