ハイレゾ化キーマンにインタビュー
「小泉今日子」像はいかに確立されたのか? ハイレゾ化されたアルバム制作の舞台裏から探る
―― 『KOIZUMI IN THE HOUSE』は、高田さんがご担当されたんですか?
高田 はい、私が手がけたんですが、1回ダメ出しを食らいました(苦笑)。ミキサーを変えられちゃいまして。エンジニアもね、『分かってない、この人たち』と。実際、分かってなかったんです(笑)。小泉さんは本当に先取りをする人で、こちらも勉強していないといけないんですけれど、やっぱり自分の好きな音やリズムってあるじゃないですか。たとえば(筒美)京平さんの曲とかはしっかりアレンジされていて「これをどうやって音で表現するか」が重要で、クリアな音とか、楽器バランスとか、アレンジによって変えていくんですが……そういうものがベースとして染み付いちゃっていたんですね。
でもだんだん録音が打ち込み系に変わっていくと、アコースティックではできなかったこと、打ち込みならではのことができるようになっていって、サウンドとしてまたいろんな冒険ができるわけです。でも、さらにそれが進んでいってハウスになった時に、正直なことをいうと「ハウスって何だろうな?」っていう面もあって(笑)。コンプレッサーで、リズムのバランスで、こういうビートを作るんだろうな……と何となく分かったんですけれど、でもそれがすぐ形にできるか、納得するものができたかというと、できなかったんですよ。最初はね。
で、「ダメだね」って変えられてしまったんですが、ある時「あっ! こんな音がそうなんだ」とひらめくわけですよ。こちらもプロですから。だから、学んだというか、育てられたというか。田村さんと組んでると、いろんなボールが投げられてきますからね。一度なんて「ダメだ、こりゃ」って帰られちゃったこともあったし(笑)
田村 だって小泉さんを主体に考えたら、しょうがないじゃないですか(笑)。アルバムに合った音じゃなきゃいけないんだから。でも、高田さんにはずいぶん無理を言ったね。
高田 無理を言われるのはむしろ面白くって。「こんな風にして作ってもいいのかな?」と投げたら「もうどんどんやって」と言われましたね。それは僕にとってはすごくありがたいことでした。新しい引き出しをたくさん持てましたから。単純な作業としてでなく、音楽として「サウンドを作る」ということをより深く自分の中で考える機会が増えました。今思ってもあの当時は本当に面白かったですね。
今でこそ笑いながら話せるテーマだが、これまでとまったく違う大波が押し寄せてきた音楽界において、その先端で軽やかにサーフィンする小泉今日子というアーティストの“今”を鮮やかに切り取り、それを最善の形でファンへ届けようとしていた1980〜90年代の現場は、まさに鬼気迫るものがあったに違いない。和やかな思い出話の中にも、それを垣間見せる鋭い瞬間があったことをご報告しておこう。
―― 田村さんもおっしゃっていましたが、1枚ごとにコンセプトの違うアルバムを作られていたんですもんね。音もそれに応じたものでなければならない、と。
高田 そうです。色がはっきりしていますよね。小泉さんの作品に限らず、音楽って『こういう楽曲でこういう音』というコンセプトが明確になればなるほど、私らもグッと入り込めますので。逆にいうと『このエンジニアはこういう感覚でこういうスキルがあるから、この音楽は彼がいいんじゃないか』という感じで、さらに専門性が深くなっていくし、それはそれでとてもいいな、と感じました。
だから、小泉さんに関しては本当にベーシックなポップスの音作りから始まって、今でいうJ-POPの走りみたいな、ね。ミュージシャンのパワーがすごいですから、いい音を出すんですよ。それをきっちり録ってバランスを取ってあげると、本当に格好良いサウンドになるんです。さらに、ハウス系になったら音にもっと色をつけて、音作りに個性がものすごく求められる時代に入ってきて。そういう意味では、僕の中では“一回りした”のかな、という気がしています。