ハイレゾ化キーマンにインタビュー
「小泉今日子」像はいかに確立されたのか? ハイレゾ化されたアルバム制作の舞台裏から探る
―― 「自分で作詞してみない?」ということになったきっかけは、どういうものなんでしょうか。
田村 当時「ザ・ベストテン」とかに出ていて、お薦めの本を紹介して下さいといわれたもので、紹介したらそこからミヒャエル・エンデの「モモ」が売れたり、吉本ばななの「キッチン」が売れたり、ということになってきて、なるほどな、と思ったんですよ。それで、本人と話してみると、この本の、ドラマのどこが面白かったというんですが、それを本当に面白く話す人なんです。「こりゃきちんと考える力があるんだな」と思って、「ねぇ、ちょっと詞を書いてみない? この曲空いてるんだけど」と持ちかけたんです。嫌がられましたけど(笑)。最初はね、そんなもんですから。
そうこうしながら2〜3曲別名で書いて、やっと本人も自信を持って「ここから自分の名前でいいよ」といわれたのが11thアルバムの『Phantasien』(1987年7月)でした(小泉今日子名義で作詞がクレジットされている「Fairy Tale」「Strange Fruits」を所収)。
―― それと、『Betty』ではシングルが1曲も収録されていないんですね。それは当時としても大変珍しいことだと思うのですが。
田村 でもね、『Betty』単体で見るとそうだけど、あの当時は年末にベストとか企画盤とかが必ず出るんですよ。だから、『Betty』だけ見ると異質に見えちゃうかもしれないけれど、トータルで見たら「必ずシングルをアルバムの中に入れなきゃいけない」ということでもないと思うんです。確かに珍しいとはよくいわれるんですが、いつも「そうじゃないのになぁ」と思っています(笑)
―― 小泉さんの楽曲は、実にバリエーション豊富な作詞・作曲・編曲家によって制作されていますが、アルバム制作の上では、ある程度一定の制作陣で作った方が、方向性を定めやすいのではないか、と思うんですが。
田村 でもそれは、アルバムのコンセプトさえ決まっていれば、そこへ向かって走っていけばいいだけなんで、あんまり問題じゃないですね。で、音楽の方向性だけがコンセプトということではないのでね。いろんなコンセプトがあるじゃないですか。サウンドの方向性だけでコンセプトっていっちゃうと、バンドみたいだな(笑)。そうじゃないんです。
―― 例えば7枚目の『Flapper』は1曲ごとに全部作曲家が違いますが、それはどういうコンセプトだったのですか。
田村 それは、まさに「Flapper」という言葉がコンセプトだったからですよ。フラッパーというイメージが最初にあって、そこからああいうジャケットができ、「Flapper」という曲が入り、ということになるから、そうやって統一感が出てきます。簡単な話をすると、作家さんたちにも「コンセプトはFlapperで」と頼めば、そんなド派手な曲なんて書かないじゃないですか。そういうことです。
フラッパーというのは、20世紀の初頭から第一次大戦後へかけて、少しずつ意味合いを変えながら流通していった言葉で、従来の因習に囚われず、考え方や行動、ファッションなどに進取の気性を求めた女性たちのことを指す。1980年代、女性の髪型を中心にリバイバルがあったことを、私もうっすら記憶している。
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