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ハイレゾ化キーマンにインタビュー

「小泉今日子」像はいかに確立されたのか? ハイレゾ化されたアルバム制作の舞台裏から探る

公開日 2016/07/06 11:15 インタビュー・試聴:炭山アキラ/構成:編集部
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"21世紀の音”になったキョンキョンの歌声をチェック

インタビューが終わった後に、わが家へいくつかの音源が届いた。既に配信中の『Ballad Classics』と、7月6日から配信開始となった『KOIZUMI IN THE HOUSE』『Ballad Classics II』『N°17』である。それぞれ、少しじっくりと聴いてみたが、音質に面白い違いがあると気づいた。

Ballad Classics』の1の方は、長い長い昭和をほぼいっぱいに使って熟成された、「“歌”を何よりも最優先した音作り」が現代によみがえったようなイメージ。小泉今日子の全盛期はバックが生演奏から打ち込みが主体になる過渡期を含んでいたせいか、かなり凝ったアレンジの生演奏から、やや平坦な電子音まで広いバリエーションを聴かせる。それでも小泉の“歌”が完全な主役として君臨しているので、伴奏がたとえ初期の打ち込みサウンドであっても、全然それが苦にならないというか、歌の力を表現するならばバックはこれでいいのか、と納得の表現だ。

KOIZUMI IN THE HOUSE』は、それまでの「“歌”至上主義」とは完全に一線を画す音作りだ。強烈なパワーを込めたビートと小泉の歌声が等価に配されたような印象で、彼女の声を意図的に「ローファイ処理」しているようなイメージがある。ハウス・ミュージックなのだから、これが正統な音作りなのであろう。

Ballad Classics II』は単なるベスト盤ではなく、別アレンジのセルフカバー集で、アコースティック楽器を大胆に用いた、ある意味「金のかかった」アレンジとサウンドが素晴らしい。小泉の声はハウスの意図的につぶされた音色から一転、ワイドでダイナミックに収録されたアコースティックの伴奏をものともしない、磐石の安定感と澄んだ声質を聴かせてくれる。伴奏は当時最新のプロフェッショナル・デジタル録音機器による高品位なパワフルさで、声はもちろんその要素を持ちつつ、それに加えて歌謡曲伝統の“声”の強みを持つ。素晴らしい録音だ。

N°17』は、ハウスで会得した溜めの効いたビートをメロディアスで歌謡曲的なメロディに載せ、そこに小泉の声がやはり絶対的な主役として中央を占める。これはまさしく伝統と当時の最先端を融合させた、小泉自身とスタッフの皆が試行錯誤して作り上げてきたサウンドの、一つの結論といってよいものなのではないかと感じさせた。

これらのアルバム群のいくつかはリアルタイムで楽しんでいた。もちろん、若者だった時分のことだから、現在のわがオーディオとは品位もスケールも比べ物にならない。しかし、それにしても「キョンキョンの声ってこんなにきれいだったかな? ビートはこんなに切れ味鋭くかつマッシブに聴こえていたかな?」と、不思議に感じざるを得ない。当然ハイレゾ化されたのだから高品位化されているのは間違いないが、どうもそれだけではないような気がする。田村氏がおっしゃっていた「今だったらこうなるな」という、サウンドのアップデート化によって、現代のわれわれが有する“耳”に、よりすんなりとなじんでいってくれているのではないかと感じざるを得ないのだ。

21世紀を生きる私たちへ向けて「最適化」された小泉今日子のアルバム群を、私たち現役時分からのファンはもちろん、若い人たちにもぜひ味わってみてほしいと、心より願う次第だ。

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