[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域
【第150回】田村ゆかりさんに捧ぐ!ラジオ「いたずら黒うさぎ」歴代OP/ED曲をオーディオ目線で語る
▼Traveling with a Sheep(シングル「Spiritual Garden」より)
2005年10月08日から2006年04月01日のED曲。こちらの曲は個人的には、後にライブで披露されていたのをきっかけに好きになった。
ゆかりさんの作品の中に時折紛れ込んでくる、幻想的で危うい雰囲気の曲のひとつだ。「Cursed Lily」や「砂落ちる水の宮殿」などもこれと近しい何かを感じさせる。好んで聴くアーティストのお一人としてCoccoさんを挙げたこともある、ゆかりさんのその部分が表れている曲、だろうか。
ゆかりさんの歌い回しにおいては、サビの突き抜けっぷりも当然ながら印象は強いが、もっと繊細な表現の部分も印象的だ。
ゆかりさんは言葉の語尾の声量や音程をトレモロやビブラートで大きく揺らしてわかりやすく表現するタイプの歌い手ではない。そういった形での表現は控えめだ。ご本人が「決して歌が上手い方ではありません。声量だってびっくりするくらいありません」と自らを評しているが、「ダイナミックな表現は得意ではない」という意味ではそうなのかもしれない。
しかし例えば、一定に揺らすのではなく一瞬すっと上げてそこからふっと消していく、息を入れるのか抜くのかなど、語尾のニュアンスの豊かさにはたびたび驚かされる。加えて、歌詞の一節、曲の一小節、曲の一ブロックごとといった大きな単位でのダイナミクス、抑揚も豊かだ。
そういった細やかな表情付けは、その「揺れ」の基準となる正確で安定した声量と音程があってこそ。基準が揺らいでいては、表現として意図した揺らぎも、基準そもそもの揺らぎに埋もれてしまう。逆に言えば、細やかな表情付けが届いてくるということは、その土台には安定した声量と音程があるということだ。ゆかりさんの歌の細やかな表現、その土台となっている正確さや安定性は、誰が何と言おうと、ゆかりさんが何と言おうと、上手い。
さて、その細やかな表現はこの曲に限った話ではないのだが、終始激情に任せて歌うこともできてしまいそうなこの曲でもそういった繊細な表現をしてくる、そこに田村ゆかりを強く感じる。曲としても、リズムが特徴的でありつつドラムスは打ち込みっぽくシンプルにしてベースとギターでグルーヴを乗せているところなど面白味は色々あるのだが、しかし特にゆかりさんのボーカル重視で聴きたい曲のひとつだ。
そして瞬間的な聴きどころとしては終盤、
「このままどこかへ…」「呪文を唱えたら」
その節と節の間に挿入されている、歌詞としては記載されていない一言を挙げておきたい。歌に対して低音側でハーモニー…ではなく不穏な囁きとでも言えばよいのか、それがエフェクト処理されて左右に振られている。これが特にヘッドホンやイヤホンで聴くと怖いとしか言いようがない。ゆかりさんの深淵を感じさせる一瞬だ。
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