公開日 2021/02/06 07:00
加速するDXの時代をどうサバイブするか。オーディオのネクスト・ステージを占う
【2021年オーディオ展望】
■ICTの発展は世界を変えた。一方で課題も浮き彫りに
2020年は、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、私達の暮らしを支えている公共セクターが全くデジタルファーストにはなっていなかったことをはっきりと感じることができた1年となった。
1995年から普及が始まったインターネットは、すぐにあらゆることをデジタル化(Digitalization)しなければという力を生んだ。それを社是にして起業されたGoogle社は、どの分野の専門家も驚愕するような成長をとげることになった。さらに、この10年ほどGAFAと呼ばれるようになったICT系大企業は、地球上のすべての人々の生活に深く影響を与えるだけでなく、国家が恐れるような存在となった。
私達ひとりひとりは主に利便性を感じてネットでの様々なサービスを利用しているわけだが、デジタル側からみれば、人間は「データ発生機」といえる存在だ。リアルタイムで吸い取られる膨大な情報は、ビックデータとして日々刻々増やし続けられるサーバー群に貯められていくのである。その量は、もはや人が直接操る範囲をはるかに超えている。そのビックデータの利用を進めるために、日々様々な人工知能たちが投入されて続けているのである。
ここに書いたことは先端事例ではなく世界におけるビジネスの日常だ。この日常から考えれば、日本は四半世紀ほど昔のままのようにも思える。そんな中、言葉だけはキャッチアップする世相は、DX(Digital Transformation)を高らかに掲げている。デジタル庁の活躍が期待されるとのことだが、実現しようとしていることは、21世紀になってすぐに掲げられた電子政府と変わらないような気がするのである。
DXはビジネス変革に限ったことではない。例えば渋谷区とKDDIなどが行っている「渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト」では、渋谷駅周辺をCGで立体化して、VRの中で利用できるようにしたものがある。ミラーワールドと言われる世界だ。実際の街並みが再現されている中で、私達はアバターとなって、様々な活動を行うのだ。
実体験のようで、そこはデジタル。リアルではできないことが自由にできる。都市だけでなく世界のすべてがミラーワールド化されたとき、そこでしか生活しない人間が現れ、やがては生物としての形態も変化するかもしれない。人のDXだ。と、ここまで来ると夢というより悪夢なのかもしれないが。
■レコード、CD、そしてサブスクへ。DXとともに歩んできたオーディオの歴史
さて前置きが長くなったが、私達が愛するオーディオは、デジタル化の長い歴史を持っている。SONYがPhilipsを巻き込んで世に出したCDは、1984年に発売された。今年で37年。この37年でコンピュータの性能は、10万倍×10万倍ほどアップしている。そのことから考えれば、CDフォーマットが2021年になっても立派に生き残っていることは奇跡だと思うのである。
2000年代の前半には、インターネットとコンピューターの普及で、一般家庭においてリッピングされたCD音源が圧縮され、ネットを通じてシェアされるようになった。このP2P接続を管理することをビジネスにしたのがNapster社だった。これこそ、最初のDXと言えるのではと思うのである。当然、全米レコード協会は訴訟を起こし、Napster社は敗訴となる。
同じ頃、スティーヴ・ジョブズが音楽流通に新たな一石を投じた。iPodとiTunes。王道のオーディオ機器の隙間に現れていた持ち運べるMP3プレーヤーと、単なる情報の掲示じゃない高度な利用が始まったホームページ。彼は持ち前の交渉力で次々とレコード会社との交渉をまとめあげ、新たな音楽産業のあり方を生み出したのだ。
2010年代後半に入り、DXは新たなフェーズに入った。それがハイレゾだ。ミュージシャンやプロデューサー、録音エンジニアだけが知るものだったマスタークオリティの音源を、一般ユーザーでも楽しむことができるようになってきた。かつてのマスターテープ音源のデジタルでの修復やリマスタリングも活発に行われている。
さらには、光ファイバーによるネットアクセスの高速化に伴い、ハイレゾストリーミングのサブスクも実現されるに至っている。何千万曲もの素晴らしいデジタル音源が、いつでも目の前にある環境になったのである。
■リスニングルームのDXの可能性。まだまだオーディオには改良の余地がある
ここまでオーディオのDXの歴史について簡単に振り返ってきたが、実は一番の手付かずとして、リスニングルーム環境のDXというのが残されていると思うのである。
僕は40年ほど前、リスニングルームの音場特性について調査研究をやっていた。実際に70余りの一般家庭に作られたリスニングルームを回って音響特性の測定や、同じ音源を使っての試聴を行った。結果は、まさに十人十色。もちろんアンプやスピーカーの違いもあるけれど、リスニングルームの音響特性は思った以上に大きいものだった。とくに後からの工夫で調整しきれないものとして分かったのが低音域の特性だった。
その頃は、実際に部屋の壁や天井の材質や角度や、部屋の中に入れる様々な物などで音場を調整するしかできなかったわけだが、今ではスピーカーの周波数特性やレスポンスだけでなく、部屋の特性もリアルタイムの演算の中で、かなり自由にコントロールできるところまで来ている。例えば、その方向のひとつとして、フィンランドのGENELEC社のSmart IPというシステムに注目している。
そもそもオーディオというのは、最古のヴァーチャルリアリティだ。見えないけれど、目の前にベルリン・フィルで振るカラヤンがいたり、スタジオで録音をしているコルトレーンがいたり、ゴージャスなエコーの中で何人もの山下達郎がアカペラでコーラスをしていたりするのだ。これからは、それぞれの音楽に最適な音場まで含めてサービスを受けたり、自分で毎回調整したりというのは、リスニングルームのDXかもしれないのである。
マスターテープに入っていた情報のすべてをきっちり聴きたいという方向のオーディオ趣味もあれば、その場で生演奏を聴いているように聞こえる世界を創るのも、またオーディオ。誰もが持つスマホがスパコンとなった今、オーディオのDXの可能性は、まだまだあるのだ。
デジタルハリウッド大学 学長
杉山知之/工学博士
日本大学大学院理工学研究科修了後、同大学助手となり、コンピューターシミュレーションによる建築音響設計を手がける。87年渡米、MITメディア・ラボ客員研究員、国際メディア研究財団・主任研究員、日本大学短期大学専任講師を経て、94年デジタルハリウッドを設立。2004年大学院、2005年大学を設立し、現在デジタルハリウッド大学・学長。コンピューターとオーディオの融合をいち早く提唱し、2010年の「ネットオーディオ誌」創刊よりコラム「AudioNext」を連載、テクノロジーの進化やデジタル化がもたらすオーディオの可能性を提示し続けてきた。
2020年は、新型コロナウイルスによるパンデミックによって、私達の暮らしを支えている公共セクターが全くデジタルファーストにはなっていなかったことをはっきりと感じることができた1年となった。
1995年から普及が始まったインターネットは、すぐにあらゆることをデジタル化(Digitalization)しなければという力を生んだ。それを社是にして起業されたGoogle社は、どの分野の専門家も驚愕するような成長をとげることになった。さらに、この10年ほどGAFAと呼ばれるようになったICT系大企業は、地球上のすべての人々の生活に深く影響を与えるだけでなく、国家が恐れるような存在となった。
私達ひとりひとりは主に利便性を感じてネットでの様々なサービスを利用しているわけだが、デジタル側からみれば、人間は「データ発生機」といえる存在だ。リアルタイムで吸い取られる膨大な情報は、ビックデータとして日々刻々増やし続けられるサーバー群に貯められていくのである。その量は、もはや人が直接操る範囲をはるかに超えている。そのビックデータの利用を進めるために、日々様々な人工知能たちが投入されて続けているのである。
ここに書いたことは先端事例ではなく世界におけるビジネスの日常だ。この日常から考えれば、日本は四半世紀ほど昔のままのようにも思える。そんな中、言葉だけはキャッチアップする世相は、DX(Digital Transformation)を高らかに掲げている。デジタル庁の活躍が期待されるとのことだが、実現しようとしていることは、21世紀になってすぐに掲げられた電子政府と変わらないような気がするのである。
DXはビジネス変革に限ったことではない。例えば渋谷区とKDDIなどが行っている「渋谷5Gエンターテイメントプロジェクト」では、渋谷駅周辺をCGで立体化して、VRの中で利用できるようにしたものがある。ミラーワールドと言われる世界だ。実際の街並みが再現されている中で、私達はアバターとなって、様々な活動を行うのだ。
実体験のようで、そこはデジタル。リアルではできないことが自由にできる。都市だけでなく世界のすべてがミラーワールド化されたとき、そこでしか生活しない人間が現れ、やがては生物としての形態も変化するかもしれない。人のDXだ。と、ここまで来ると夢というより悪夢なのかもしれないが。
■レコード、CD、そしてサブスクへ。DXとともに歩んできたオーディオの歴史
さて前置きが長くなったが、私達が愛するオーディオは、デジタル化の長い歴史を持っている。SONYがPhilipsを巻き込んで世に出したCDは、1984年に発売された。今年で37年。この37年でコンピュータの性能は、10万倍×10万倍ほどアップしている。そのことから考えれば、CDフォーマットが2021年になっても立派に生き残っていることは奇跡だと思うのである。
2000年代の前半には、インターネットとコンピューターの普及で、一般家庭においてリッピングされたCD音源が圧縮され、ネットを通じてシェアされるようになった。このP2P接続を管理することをビジネスにしたのがNapster社だった。これこそ、最初のDXと言えるのではと思うのである。当然、全米レコード協会は訴訟を起こし、Napster社は敗訴となる。
同じ頃、スティーヴ・ジョブズが音楽流通に新たな一石を投じた。iPodとiTunes。王道のオーディオ機器の隙間に現れていた持ち運べるMP3プレーヤーと、単なる情報の掲示じゃない高度な利用が始まったホームページ。彼は持ち前の交渉力で次々とレコード会社との交渉をまとめあげ、新たな音楽産業のあり方を生み出したのだ。
2010年代後半に入り、DXは新たなフェーズに入った。それがハイレゾだ。ミュージシャンやプロデューサー、録音エンジニアだけが知るものだったマスタークオリティの音源を、一般ユーザーでも楽しむことができるようになってきた。かつてのマスターテープ音源のデジタルでの修復やリマスタリングも活発に行われている。
さらには、光ファイバーによるネットアクセスの高速化に伴い、ハイレゾストリーミングのサブスクも実現されるに至っている。何千万曲もの素晴らしいデジタル音源が、いつでも目の前にある環境になったのである。
■リスニングルームのDXの可能性。まだまだオーディオには改良の余地がある
ここまでオーディオのDXの歴史について簡単に振り返ってきたが、実は一番の手付かずとして、リスニングルーム環境のDXというのが残されていると思うのである。
僕は40年ほど前、リスニングルームの音場特性について調査研究をやっていた。実際に70余りの一般家庭に作られたリスニングルームを回って音響特性の測定や、同じ音源を使っての試聴を行った。結果は、まさに十人十色。もちろんアンプやスピーカーの違いもあるけれど、リスニングルームの音響特性は思った以上に大きいものだった。とくに後からの工夫で調整しきれないものとして分かったのが低音域の特性だった。
その頃は、実際に部屋の壁や天井の材質や角度や、部屋の中に入れる様々な物などで音場を調整するしかできなかったわけだが、今ではスピーカーの周波数特性やレスポンスだけでなく、部屋の特性もリアルタイムの演算の中で、かなり自由にコントロールできるところまで来ている。例えば、その方向のひとつとして、フィンランドのGENELEC社のSmart IPというシステムに注目している。
そもそもオーディオというのは、最古のヴァーチャルリアリティだ。見えないけれど、目の前にベルリン・フィルで振るカラヤンがいたり、スタジオで録音をしているコルトレーンがいたり、ゴージャスなエコーの中で何人もの山下達郎がアカペラでコーラスをしていたりするのだ。これからは、それぞれの音楽に最適な音場まで含めてサービスを受けたり、自分で毎回調整したりというのは、リスニングルームのDXかもしれないのである。
マスターテープに入っていた情報のすべてをきっちり聴きたいという方向のオーディオ趣味もあれば、その場で生演奏を聴いているように聞こえる世界を創るのも、またオーディオ。誰もが持つスマホがスパコンとなった今、オーディオのDXの可能性は、まだまだあるのだ。
デジタルハリウッド大学 学長
杉山知之/工学博士
日本大学大学院理工学研究科修了後、同大学助手となり、コンピューターシミュレーションによる建築音響設計を手がける。87年渡米、MITメディア・ラボ客員研究員、国際メディア研究財団・主任研究員、日本大学短期大学専任講師を経て、94年デジタルハリウッドを設立。2004年大学院、2005年大学を設立し、現在デジタルハリウッド大学・学長。コンピューターとオーディオの融合をいち早く提唱し、2010年の「ネットオーディオ誌」創刊よりコラム「AudioNext」を連載、テクノロジーの進化やデジタル化がもたらすオーディオの可能性を提示し続けてきた。