[連載]高橋敦のオーディオ絶対領域
【第100回】“ハイレゾとは何なのか?”− 楽曲制作プロセスからみるハイレゾ考察
一方で意見が大きく分かれることが多いと思えるのは例えば、「録音時のフォーマットは非ハイレゾだがそれをアナログアウトボードで処理してアナログマスターに仕上げたものをハイレゾでデジタル化した音源」だ。確定的情報源はないが例えば、宇多田ヒカルさん「First Love」はこのパターンである可能性も高いと思われる。これは録音時の素の情報量はもちろんハイレゾのそれではない。
しかしアナログで処理することによって生まれる、例えばダイナミクスの変化や揺らぎ、倍音の増加、総じての感触や質感といったもの。それらを含めたアナログマスターの音を余さずにデジタル化するには、ハイレゾという器が必要に思えるのだ。
…といったことを考え始めると切りがない。僕の中での脳内会議でも切りがないのだから、多くの方が納得できる共通見解など簡単にはまとまるわけがない。
「制作行程の中にハイレゾではない部分がどんな理由でも一カ所でもあればハイレゾに値しない」
「音声データを解析して20kH超が検出されなければハイレゾに値しない」
「音声データを解析してダイナミックレンジを使い切っていないように見えたらハイレゾに値しない」
「スペックや計測値は関係なく、自分が聴いてその音に納得できるか否かがすべて」
実に様々な意見を見かける。早々に収拾がつくことはおそらくないだろう。収拾なんてつかなくても「そんな些事には興味なし。自分がよいと思う作品をハイレゾだろうが非ハイレゾだろうが楽しむ」という姿勢でも問題ないのだが。
とはいえ収拾に向けての対応策を考えるとすればそのひとつとしては、各ハイレゾ配信作品の紹介&購入ページにてその音源の制作の工程を可能な範囲で明示することは、ある程度の効果を期待できると思う。その意図も説明されているとなお効果的だろう。例えば、
「この作品はPCM 48kHz/24bitでの録音。そのフォーマットのまま編集やミックスを行い、アナログで出力してアナログの各種エフェクトでマスタリングを行い、アナログのマスターテープを制作した。それによってこの作品の質感が生み出されている。このハイレゾ音源ではそのアナログマスターの質感を可能な限り生かすために96kHz/24bitでのデジタル化を選択した」
こういった説明があれば、「なるほどそういうわけでアナログ経由の96kHz/24bitなのか」とあらかじめ納得できる。逆に納得できないにしても、ちゃんとした説明があって「あらかじめ」納得できないのであれば、「スペックを偽って売っている」みたいな批判にはつながらなくなるだろう。
もっとも、作り手側の「そういうことじゃなくて純粋に音を聴いて感じてほしい」という思いや、受け手側の「観客が舞台裏を覗くのは粋ではない」といったような感覚も、それはそれで尊重されるべきだ。なので誰も彼もがそうするべきだしそれを要求するべきだということではない。
何にせよニセレゾ論争なんかに労力を使うのは、ユーザーにとっても配信サービスやレコード会社にとっても好ましいことではない。そういう状況は何とか解消されてほしいものだ。
■まとめ
というわけで今回は、ハイレゾ配信音源の「ハイレゾとは?」について、その制作プロセスという一面から解説してみた。一面に過ぎないのだが、時にはあえて一面に集中して掘り下げるのも全体の理解を深めるのに役立つ。役立つはず。役立ってくれたらいいな。そう願っている。
高橋敦 TAKAHASHI,Atsushi 趣味も仕事も文章作成。仕事としての文章作成はオーディオ関連が主。他の趣味は読書、音楽鑑賞、アニメ鑑賞、映画鑑賞、エレクトリック・ギターの演奏と整備、猫の溺愛など。趣味を仕事に生かし仕事を趣味に生かして日々活動中。 |
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